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「じいちゃん…ありがとう」中村🍀

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私の祖父が8/16に満100歳の誕生日を迎えました。家族で8/11お盆の集まりを百寿祝いの宴席としましたが、高熱が出ていると聞かされており、宴席も延期かと思われましたが、一番かわいがってた内孫の従弟が東京から戻り、結婚して10年でやっと子供が出来たと報告したら一気に熱が下がり、「どうやら100歳は越えられそうです。2月には待望のひ孫にも会えると思うと、新しい目標もでき、元気が出てきました!!ありがとう❕」と、宴席を延ばすことなく涙を流して喜んでいました。

ところが8/14(誕生日の前々日)、肺炎等で入院。高熱もぶり返し危篤とのこと。すぐに子どもたちを連れて行ったら声に反応してくれ、「大丈夫…100歳にならんで死ねません」と意識を戻してくれました。

誕生日には叔父の携帯に動画を送り、「100歳おめでとう!もういっちょの目標まで頑張らなんよ~❢」とメッセージを託し伝えてもらいました。8/19に家内を連れて行ったときは、ちゃんと動画を観たことのお礼まで言ってくれ、「よかよか」という口癖と共に、「もう大丈夫だけん帰りなさい。遠くまでありがとう」と心配かけまいと必死な感じも受けました。

8/28再び危篤の連絡あり、病院に駆けつけましたが、すでに意識もなく、東京の従弟が帰ってくるまではと、ドーパミンの静注点滴を打たれており、血圧の割には頻脈で頸動脈はふれず、手先などは冷たい状態。看護師の母・おば・私の妹が「この状態はじいちゃんキツいだけだけんね」と従弟の到着と共にドーパミンを外すことをドクターと話しておくよう叔父が促されていました。生きていてほしいという叔父の葛藤状態が目に見えてわかりましたが、従弟の到着と同時に病室を出ていき、すぐに点滴が外されました。

従弟と熊本の親戚は全て集まり、見守られながら少しずつ自然な呼吸となり1時間ほどで、モニターのアラーム音が鳴りっぱなしになったころ、それぞれが声をかけ、頭をなで、手を握り、足をさすり、泣き…お別れをしました。

我が家の一つの時代が終わりました。

祖父は皆に見守られてお別れが出来たことで、振り返りに祖母の時はどうだったっけ?という話になり、その瞬間は私だけが立ち会っていたので、皆から孝行者だと冷やかされました。子ども時代離れて過ごした関係性で、他の従弟たちに比べ可愛がられた思い出がない中、唯一小学1年の時、北海道に遊びに来てくれた時、あまり北海道にはいないカブトムシを大量に捕まえてきてくれ、「お友達にも分けてあげられるぐらいいっぱい捕まえてきたから!」と…あの時はとてもうれしかったし、祖父のことを自慢したものでした。(当時の写真です)

社会人になってからの祖父との付き合いで、よく私に話してくれたのは、「農家に生まれ戦争に行き、戦友と一緒に死ねず、なぜか生かされた。だから生かされた分一生懸命に働いた。その結果、猛君たちがいるんだなぁ。生かされている以上男は”できたしこ”じゃいかんよ!”やれるしこはやれ!あきらめたらいかんぞ!!”だけんね」と…最後の瞬間まで自分を全うした祖父を尊敬していますし、単純に100歳はすごい!と感じさせてくれました。心残りは待望のひ孫に会えなかったことでしょうし、ひ孫を見せてやれなかった従弟のくやしさ…等々、家族の色々を含め、うちはちゃんとした家族でよかったと感じられる長い一日でした。

『じいちゃん…ありがとう』

暁荘・施設長・中村 猛🍀