あかつきの実践ブログblog

「改めて教えを感じる」中村🍀

カテゴリー:あかつきの実践ブログ

 

先日7/12に、私が入職した当時の元施設長が90歳でお亡くなりになりました。私から数えて3代前の施設長です。入職した当時もうすでに65歳ぐらいでしたが元気バリバリで、私たち世代まではとにかく厳しい施設長のイメージですが、徐々に温厚になって行かれたので、ギリギリ知る職員たちはガミガミと怒られた印象はないと思います。

当時は、熊本県老人福祉設協議会の副会長をされており、九州軽費老人ホーム協議会の会長や全国の役員もされていて、あまり施設に居ない印象でしたが、たまに来られると厳しい指導を受け、時には地団駄踏んで怒っておられた記憶があります。

ただそれも軽費老人ホーム”愛””と暁荘”愛”が誰よりも強かったからだとは思います。軽費老人ホームの重要性をいつから始終訴えておられ、また、”施設は額縁が大切だ!”と言いながら、外回り(園庭)をいつもきれいにしておけと強くおっしゃり、自ら作業をされていました。

昭和の終わりごろから、今でいういきいきサロンを地域の公民館で始め、これを施設に来て頂こうと通所サービスに切り替えたのが昭和62年ごろ、当時の船舶振興会に援助してもらい集会場を敷地内に建て、無認可でしたがミニデイを始められました。この後、認可を得て熊本市委託の通所サービスにシフトしていくのですが、当時は単独で運営される軽費老人ホームに、在宅の事業所を併設することは認められておらず、この時点でミニデイを10年以上していることなどの熱意が認められ、全国で前例のなかった軽費老人ホーム併設のデイサービスセンターを平成8年に建設・オープンされました。この時はすでに私は入職しておりましたので、申請作業のお手伝いや、熊本市との折衝に付き添わされた記憶があります。(当時の申請書類はほぼ手書きで9割以上が私の字です)表現は変ですが、いちいち先駆的でした。

私が入職してもう10年が過ぎていたでしょうか、色々役員を退かれてしまわれていた頃、数少ないですが「中村君にはもうなーんも言わんでよくなったなぁ」と褒められたことがあります。施設長が考えそうなことを先回り行動できるようになっていたので、そんな私を見ておられ、その後叱られることもなくなりました。

この方からの直接的な教えは、「中村君はいつも人から見られていると思いなさい。手抜きなんかしていたら人は信用してくれないぞ!特に中村君は相談員だから施設の看板です。看板が歪んでいたら誰も中身に興味を持ってくれない。そして施設の相談員は施設長からの絶大なる信頼を得ていなければならん。だから歪んどったら困る。まっすぐ立っていなさい。」です。こんな優しい言い方ではなく怒りながらでしたが😓、今の私のスタイルにはこの指導が影響していることを今回想い出させてもらいました。

そして先日お亡くなりになり、通夜と葬儀に参列しました。葬儀にはOG3人を私の車に乗せ一緒に行きました。葬儀場の行き帰りでのこの上司の昔話では、「本っとに厳しい人だったよね⁉うるさい人だったよね⁉でも暁荘の事好いとらした~!!!」と…古いメンツは私を含めこの方に感謝しているんだなぁと感じつつ、「中村君はあんなに厳しくはなかごたるばってん、施設愛は負けとらんごたるけん、暁荘と心中せんごつ❢」みたいなことを言われながら、いつものように”お会いできて良かったです”と心で思いながら手を合わせてきました。そして、この上司の教えを私が私なりで、今の職員たちに伝えていかなければならないことを、最後のお別れの日に教えてもらった気がしています。

 

あかつき・施設長・中村 猛🍀