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「頼ったり、頼られたり」

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最近、私の家内の親類が立て続けに病気になっています。家内の母(74)が昨年アルツハイマー型認知症の診断を受けました。また、家内の叔父が二人それぞれ脳卒中で倒れ、福岡の叔父(64)はリハビリ♿に移行して間もない状態。熊本の叔父は倒れたばかりの急性期なので何とも言えませんが、右片麻痺☤と言語障害が残るかな…という状態です。

私達の年齢ぐらいになれば、親世代の老後のことを考えないわけではありませんが、割と早くに家内側の親類が若くしてバタバタと大変な状況になり、福祉系に携わる私たち夫婦(家内は介護福祉士歴25年)が先頭に立ち、何か役立てるようにと動くことが増えました。とは言え、義母と福岡の叔父については、折角私たちが身内にいるにもかかわらず、頼ろうとしなかったことで、義母の認知症は随分と進行した状態で義兄夫婦から相談を受けかかわり始めました。福岡の叔父は、親戚たちに心配をかけたくないと知らせてなかったことで、叔母が在宅で24時間体制で見ている状態、叔母はまだ50代半ばで仕事を辞めていました。

言い方は悪いのですが、素人だけでは何もわからないし、遠回りする可能性が大です。私は義理の立場ですから直接的でないとしても、家内は実の娘で姪の立場。そして何より25年の介護職としてのキャリアもある。そんな現実に腹を立ててました。ましてや私は相談員としてのキャリアが長いので、色々社会資源を知っている。一番に頼ってほしい!、心配させるといかんから?、世間体?…と嘆いていました。確かに…と私も思います。

相談があってからは、義母にはすぐさま信頼できるケアマネージャーに依頼し、専門医への通院や認知症型デイサービスの利用の開始、特養申請を3件行い、全て私主導で進めています。もう少し早くにかかわれていたなら、今でも義父と二人で在宅で過ごせていただろうと思います。福岡の叔父は、叔父夫婦がそれぞれに負担に思わないような在宅生活にと、叔母に助言をしています。残るは地元の叔父ですが、つい先日、私の家のそばの回復期リハを持つ病院に転院をしました。担当ナースと理学療法士・作業療法士・言語療法士などとも会い、リハ計画を聞かせてもらいました。

日本人の性質というか文化みたいなもので、思いやりがある・礼儀正しいなど、「きれいな心」という清廉なイメージを持たせますが、逆にこの表現は消極的で、世間体を気にし、謙虚さがかえって自虐的に見えてしまい、結果、マイナスになることもあると思います。私の親類たちも、「頼る」ということに対して一歩踏み出す勇気が持てなかったことで、マイナスからのスタートになっていることにさえ気づかずにいたのです。

かく言う私も、最近、思い切って人に頼ってみました。根性だとか忍耐だとか、苦労は買ってでもしろ!という親の教えなどにこだわりすぎて、あまり人に頼るという選択肢を選ばず、「自分さえ頑張っていれば何とかなる」などと、自己満足し自己欺瞞していたように思います。それが最近、自分の許容量に行き詰まり、気持ちが目いっぱいになっていた時、先輩方に話してみようか…相談してみようか…と自分で思え、話を聴いてもらえる機会がありました。アドバイスもいただき、かみ砕くところまでは来ています。思いの量が多すぎて飲み込むことが中々できません。しかし、人を頼る(人に打ち明ける)ことができたのは私の進歩でもあると思います。先輩方には未だご心配をおかけしております。

日本の「恥の文化」はとても尊いものだと思います。人のために思う文化ですから、とても日本人らしいものだと思いますが、時にこれが事を成す時にブレーキとなることを知っていることも大切であり、時にこれが受け手となる人の為にもなるように思います。誰かに頼りすぎるのはいかがなものかと思いますが、目の前に見える目標が中々近づいて来ない時や、行き詰ってしまった時、誰かに話したり頼ったりすることを躊躇わず、またはそういうことを言える人・聴いてくれる人が周囲にいることを知っておくことは自分の為となります。そして私自身も公私にかかわらず、話を聴いてあげられる人として選んでもらえるようになりたいですし、迷っている人に気づいてあげられる人になりたいです。

いつも私の話を聴いてくれている方へ…感謝しています🍀

お困りごとのある方はいないですか?正しい助言はさておき、ご相談にのります!

 

暁荘・施設長・中村 猛🍀

 

追伸…私のブログはついつい長くなってしまいます。長編だとか大作とか言われますが、ここまで読んでいただいた方へ「ありがとうございます。」