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「失くしかけている高揚感」中村🍀

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先日何となく自宅でfacebookを眺めていましたら、私の所縁の地・佐世保の食の会の情報が載っていました。昔からある中華料理屋さんの皿うどんがやっぱりうまかった!というもので、沢山のコメントなどあり、私もいいね!しつつ、知った人がいないかと画面をスクロールしていると、見覚えのある名字の方!?佐世保時代にたった1年だけ在籍していた佐世保西高校のT先生で、剣道部の監督の名字と一緒でした。珍しい名字なので、もしかしてとプロフィールを覗かせてもらいましたら、現在59歳で大村の高校に赴任中。過去の赴任先も載っており、初任の赴任先が私のいた高校でした。T先生はこの高校のOBでもあり、中国地方の国立大学の卒業でもあって、プロフィールでもそこまでの私の記憶と合致していました。

先生に間違いない!と確信し、思わず友達リクエストをし、メッセージも送りました。何せ当時からして33年ぶりでしたし、実は中学の時の中体連で剣道部の勧誘?をして下さった方なので。中体連当日私が個人3位になり、準決終了後に声をかけて下さり、「延長2回で長い試合になったね。高校はどこ志望?」と。私は「西高(佐世保西高校)です」と答えましたら、「お!偏差値足りてる?今結構高いよ?」「大丈夫です!がんばります」「そっか。西高剣道部顧問のTです。受験頑張ってね。西高で待ってるね」と。決して勧誘ではありませんが、先生との初対面でした。この日、T先生より先に佐世保市内の私立高校の監督さんからも勧誘を受けていました。「○○学園に来なさい。来るなら特待にしてあげるから」と名刺をもらっていました。剣道で高校進学するつもりはなかったので、この勧誘はビックリでした。”俺が特待で高校に行けるんだ!?”とは思いましたが、勧誘の声のかけられ方が、いかにも上から目線だったので、その数分後に声をかけて下さったT先生の方が何倍もいい印象で、志望校が確定した瞬間でした。その後、西高に無事に合格し剣道部に入れました。練習試合などでこの私立高校の監督さんに目の敵にされた記憶も蘇ってきました。

そんな何やかんやで、先生のfacebookへのメッセージには、中体連で声をかけて下さったことを含め、憶えてはいらっしゃらないとは思いますが、1年間しか在籍しなかった中村です…と久しぶりの思いの丈を送りました。数分後まずは友達承認をしていただけて、メッセージが既読されたのが確認できました。これで十分かなと思いスマホを閉じ、入浴を済ませ、家内にT先生のことを話し自室に戻りましたら、なんと返信があり私のことを憶えて下さっていました。さらに同期の剣道部員の男女全員の名前が書いてあり、私のことは”突然いなくなった中村君”と表現されていました。勧誘のことは覚えていらっしゃらなかったのですが、それでも感激でした。「定年までカウントダウンですが、拙い文章と写真をたまにあげています。facebookでお友達になりましょう」と。お友達なんて滅相もないのですが、佐世保時代の知り合いが現在少ない上ほぼ交流がなかったので、SNS上とは言え、先生との再会はとても高揚感でいっぱいになりました。同期の情報も一部ご存知のようで繋ぎ役になっていただけるそうです。感謝。T先生と繋がっただけでも今は満足で、先生の活動や長崎の風景をたまに感じられるだけで、うれしくてうれしくて、久しぶりのこの感情に触れられて良かったです。

最近皆さんは、高揚感を感じたことがあるでしょうか。私のこの高揚感がどのようなものかを、この文章だけでお伝えするのは難しいのですが、初めて好きな人ができて告白しOKがもらえたぐらい高揚した気がします。こういう高揚感は歳をとればとるほど薄らいで無くなっていくものだと思っていました。ワクワクやドキドキすることも少なく、精神のバランスもどちらかというと低い凪状態。そんな折の思わぬ再会は最高の喜びに感じました。

このことでこのコロナ禍、ご入居者には制限がついて回る生活をお願いしており、楽しいことの提供については種類も少なく一辺倒になってしまっていることに、仕方ないこととしても、申し訳ない気もしてしまって…。早く季節感を味わえる園外行事等で刺激を感じてもらいたい、どうにかしてあげたい気持ちが強く沸いた瞬間でもありました。

 

①は天水から島原半島の夕暮れを見ていた時(11/6)に私が撮った写真です。ちょうど普賢岳のてっぺんから夕陽が沈んでいきました。そしたらたまたま同日にT先生が、②長崎・野母崎からの夕日を撮られfacebookにあげて来られ、同じ日に同じ夕日を眺めてお互い黄昏ていたみたいです。

あかつき・施設長・中村猛🍀