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「優しさと思いやり(思い遣り)」施設長・中村

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今回「優しさ…」というテーマでブログを書こうと思いまして、文章を書き始めましたら、どうもこれは「思いやり」のことも書いてるかな…?と気付き、テーマをかえました。

優しさは心のゆとりが生むものだろうかと考えました。当然自分にゆとりのある人は他人のことも考えられる余裕があるでしょうから、根本的に利己主義の人でない限り、人には優しくできるでしょう。私が思う「優しい人」とは、自分にゆとりがない時にこそ、人に優しくできる人が「優しい人」で「気遣う心」をなくしてない人のことを言うのだと思います。ここで「思いやり(思い遣り)」のある人の優しさこそ、真の意味での優しさだと考えがまとまりました。

ただ、優しさは偽造できるとも思います。偽造すると思いやりに欠けてきますので、その人が真に優しいかどうかの判断はつきやすい…

ある過去の入居者のご家族のことです。入居者のことについてよくご相談の為お電話したり、暁荘に来ていただいたり、特に拒否されることもなく対応されてはいました。一見優しいご家族です。私がひねくれているからこんなことを考えるのか、このご家族に暁荘に来ていただく依頼をするときに、何時に来ていただけるかと時間を決めても、100%その時刻に来られたことがありませんでした。お土産を必ず持って来られては、大幅に遅れて来られ、「すみません」とは言われたことがありませんでした。(お土産が謝罪の代わりなんでしょう)

必ず来られますし、お土産もあるし、協力的ではあるので、職員たちもマヒして「優しか家族よね~」と言っていたのですが、私からすると、「思いやりに欠けるな~…お土産を買う時間があったら、それはいらんけん時間通りに来てくれんかな~…😞スミマセンもにゃーし」と実は思っていました。段取りもして、関係者を待たせ、最終的には、「暁荘がよかごつしてください!」と…一見簡単に処遇も考えれますし、暁荘の要望通りになりますが、優しさを偽造しているので思いやりに欠けているのが見抜けてしまうのです。

入居者の立場に立って物事を考え、想像した相手の気持ちを大切に思う行動こそ「思い遣り」になるのだと思いますから、このご家族は実は入居者(自分の親)のことを真に気遣っていなかったのではないかと思え、相談員だった私は逆に、「いやいや!中村さんはそぎゃん言うばってん、うちの親はこぎゃんして欲しかっじゃなかろか?」と言ってほしかったし、そして、遅刻してくることを謝りつつも、自分たちが遅刻の常習であることをお土産で隠さず、定刻に間に合うように改善してほしかったです。お土産などいりませんでした。

少し私が偏っているのかなぁ…個人的な意見ですが、”人にやさしくした純粋な親切心が動機となり、自分なりに相手の気持ちや立場に立って想像した気持ちを大切に行動をとることが「思いやり(思い遣り)」”と思っています。私が人のことを気遣って優しくしているか、声をかけているかは、完ぺきとは言えないですが、人のそれを見抜くことができますから、「こーはなってはいけない!」と自分の糧にできています。それで、私が思う真の優しさや思いやりに近づこうと努力はしているつもりです。

皆さんはどうですか?自分が大事なのはわかります。だけど優しさを偽造していませんか? 優しくしている時、時間や場所,他者の目を意識していませんか? 優しさの為に厳しいことが言えてますか? 「あの人は優しい」の優しいは、「人にあまい」の優しいではないですか? それって純粋な優しさでしょうか?

自分の利益はさておき、人の利益となるように、思いやりを持って優しさを与えていますか?

 

暁荘・施設長  中村 猛🍀