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向き合う

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向き合う

 

アナウンサーの安藤裕子さんが、お母様の介護を16年された方の記事を読み、改めて感じた事がありましたので、紹介いたします。

 

安藤さんのご両親は埼玉県にお二人で住まわれており、お母さまが70代前半だったとき突如「ベランダから飛び降りてやる」とさけばれたり、夜に、玄関先で転倒し起きれず、翌朝、救急隊に救出されたお母さまは、ご近所を騒がせた羞恥心や屈辱感から自室にひきこもってしまうということがあったそうです。

 

さらに5年後、お父様が亡くなられ、一人暮らしになったお母さまの認知症の症状は格段に進み、当時、ケアマネさんやヘルパーさんの助けを借りながら、ご兄弟持ち回りで在宅介護をされていました。

 

安藤さんは仕事の合間にお母さまを訪ね、掃除や食事を作られましたが、その最中でも30秒ごとに用もないのに呼びつけられたり、認知症が進むにつれ、介護する方も余裕がなくなり声を荒げることもあったそうです。

 

さらに認知症が進まれたお母様はある時ヘルパーさんを勝手にクビにされていて、ペットの排泄物が転がった荒れ放題の家を見たときに、施設入居を決断されました。

 

入居後、お母さまは泣き叫ばれたり、介護職員に暴言をはいたり、二度にわたり脱走したり、馴じめず、1年後、臨床美術というセラピーのメゾットに参加され、大好きな花の絵を描きだされました。セラピーをはじめて2~3ケ月後、言葉が不自由になられていたお母さまでしたが、「よ・く・で・き・た」という自己肯定の言葉を絞り出されました。

安藤さんは、認知症になり料理や買い物ができなくなって自己否定で凝り固まった母は、可能性が奪われていく憤りを感じ攻撃的になっていたのではないかと感じられたそうです。

絵を通して自分を肯定できるようになってから、少しずつ落ち着きを取り戻し笑顔がみられるようになられました。

 

お母さまの絵を見たとき、ずっと壊れた母しか見えていなかったけど、実はその中に自分の知っている母がちゃんといた、それに気づいてから母との関係性が修復でき、それと同時に認知症で忘れてもいいんじゃないかと思えるようになったそうです。

安藤さん自身が認知症を受け入れてからは、すごく楽になり楽しくなったそうです。

最後の3年間は心穏やかに過ごす母を見ることができ、忍耐強く最後まで親身になって介護をしてくれた介護職員さんには心から感謝しています、と書かれています。

 

私も施設で働く者として、お一人おひとりと向き合い、ご本人・ご家族の役に立てるようになりたいと思いました。そして臨床美術士という職業をはじめて知りましたので、少しセラピーについて勉強してみたいと思いました。      

 

 

 管理栄養士 丸山 さつき