若草学園の実践ブログblog

おばあちゃん先生の子育て回想録

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回想録も三回目になりました。前回は長男の療育との出会いや保育園幼稚園生
活、その後の就学への不安などを綴ってまいりました。
今回はその頃の長女のお話です。
上の子が療育に通い始めたころ、娘は心臓の手術を控えていました。
私はダウン症の娘のことをようやく前向きに考えられるようになり、心臓の合
併症と向き合う日々でした。根治手術はもっと体重が増えて、しっかりと手術
に耐えられるくらいに成長してからの予定でしたが、7か月のころ肺高血圧症
を併発し、1か月後に手術を受けることになりました。
ただでさえ小さい体で心臓は私の握りこぶしの半分ほどです。それを胸を開い
て取り出し穴をふさぐ…説明を聞いている間気が遠くなりそうでした。
幸いなことに穴の開いている場所が手術のしやすいところということで難しい
手術ではないということでした。
手術のための入院をし検査を経て5日後手術当日を迎えました。
娘は家族の手を離れて手術室に運び込まれ長い時間が過ぎていきました。
手術が無事終わり娘のそばに案内されると血の気のないセルロイドのような肌
の色をした娘が眠っていました。胸には痛々しい大きな傷があります。そっと
小さな手に触れてみました。暖かいんです。
思わず「あったかい」と言葉が出ていました。
ICUで二日を過ごしたあと病室に移りました。これから術後のケアが始まりま
す。
厳しい水分制限が始まりました。決められた水分量しか摂取できないため、必
ず体重を測ってから算出された水分量の中でミルク等を与えます。
私の娘はあまり泣かないほうでしたし、泣く力もなかったのかミルクを欲しが
って泣くことはありませんでした。ですが2~3歳のお子さんはそうはいきませ
ん。水分が足りずにぐずることが多いのですが、今回の手術が3回目でやっと
根治手術になる3歳のお子さんは泣いたりぐずったりしないんです。すごく我
慢強いんです。3歳にして今頑張ったら元気になれるとわかっているんです。
切ない気持ちになりました。
ほかにも何組もの親子がいらっしゃって、挨拶がてらそれぞれの病気の話など
していると、あるお母さんは「○○ちゃんは心臓の穴いくつあるの?うちの子は
4つあるのよ」と豪快にいわれて「心室の穴なら大丈夫、ふさいだなら元気に
なれるよ」と言われました。その他のお子さんも、内臓の左右が逆転していた
り、肛門がふさがっていたり、心臓だけでなく様々な合併症があり、九州のあ
ちらこちらから熊本まで手術を受けに来られている方たちでした。

昔の市民病院の古い病棟でお風呂は共同です。文字通り裸の付き合いで暗いお
風呂で会う眉毛のないママがだれのママかわからないまま話を合わせたり、夕
食のお弁当なににする?とみんなでわいわい注文を考えたり、まるで合宿のよ
うでした。
これまでいろんな困難に立ち向かってこられたのでしょう。強くて明るいお母
さんばかりでした。心臓の穴一つでくよくよしているわけにはいきません。
小児心臓外科とは別のエリアに4~5歳の男の子が入院していました。私たちが
入院してきた頃は、まだ歩く姿が見受けられたのですが、退院するころには人
工呼吸器が必要になっていました。原因不明の病気だったそうです。男の子が
入院してきた最初のころは元気いっぱいで弟さんと病室を走り回っていたそう
です。はじめは風邪のような症状だけだったのにと言われていました。
その後1年半ほど後、入院合宿仲間のお母さんから連絡があり、その男の子が
亡くなられたことを知りました。
   
それまで心臓は手術で治せても障がいは治せないのになどとまだまだ暗い気持
ちを抱えていた私ですがこの手術入院の経験から考えがすっかり変わりました

明石家さんまさんではないけれど<生きてるだけでまるもうけ>そう思えるよ
うになりました。
それからはすぐにダウン症の親の会に入ったりリハビリをはじめ色々な療育に
通いました。療育通いは楽しくそこでお母さん同士のつながりもできました。
<生きてるだけでまるもうけ>元気でいてくれればそれでいい 
そんな思いが強くなっていました。
ですから上の子の園での様子も少しの遅れがあっても深刻には考えなかったの
かもしれません。
ですが就学に向けてそうは言っていられなくなりました。
また悩ましい日々がやってきます。        それでは また 次回…

 

児童発達支援センターおひさま 児童発達支援事業 一山