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 今ではすっかり当たり前のようになったマスク姿、でも、マスクをしていると表情が分かりにくくありませんか。また、話し声も聞きとり難く、聞き返すことも多く、いつもより声を大きくしないと聞こえません。お店などでは透明のカーテンがあるともっと聞き取れず、首を突っ込んで話をしたこともあります。

 ところで、人がコミュニケーションをとる方法といえば、言葉を一番に思いがちですが、実はコミュニケーションの多くは言葉以外の非言語である顔や目の表情、声の大きさ、身振りなどが大きく影響しているそうです。ある研究によると、人が感情を表す際に一番わかりやすいところは、日本人の場合、目だと言われています(参考:ヤフーニュース7/9「日本と欧米、マスク着用で心理面に差 目は口ほどに物を言う?」より、北海道大などの研究チームは…、感情を表す「顔文字」を使った実験を行った。…日本人は目元から感情を読み取ったが、アメリカ人は目元だけでなく口元に引きずられたという。)、つまり、日本人の多くはしゃべらなくても目を見れば相手の感情がわかるということから、相手の目を見て話すことはとても大切なことだといえます。

 マスクをしていても子供たちと接するときに感情が読み取れるのは、慣れてきたせいだと思っていましたが、目が大きな役割を果たしていたことが分かりました。「目は口ほどにものを言う」とは正にこのことではないでしょうか。マスクの下では分かり難いだろうと思っていた自分の感情も、案外読み取られていることになりますね。

 自分自身の表情を振り返ったときに、最近、自分自身に笑顔が少なくなっている気がします。特に忙しさや疲れているときは不愛想な表情になっていることがあります。そんなとき、ふと目にしたのが、木喰上人(もくじきしょうにん)の次のような言葉です。

 「まるまるとまるめまるめよわが心 まん丸丸く 丸くまん丸」

 木喰とは、木喰戒(米・麦などの穀物や火を通した物を食べず、山菜や木の実だけを食べ生活する修行)をする僧のことです。この戒律を守り修行した僧の一人に木喰上人がいます。彼は93歳の生涯を終えるまで、全国を行脚し各地で千体以上もの仏像を彫ったと言われています。上人の仏像には晩年にある特徴が表れています。その特徴とは仏像がすべて微笑んでいるというものです。上人は旅の途中で多くの人々の喜びや苦しみを見てきたことでしょう、その結果、たどり着いたものがすべてを包みこむような微笑みとなったと考えられます。「まるまると…」の言葉もそこから生まれたものだといえます。

 この言葉は、小泉純一郎元首相が在職当時にメールマガジン(2003年2月13日)で紹介され、自身も、「いつも冷静でいるのはなかなか難しいことですが、おだやかで、こだわりのない修行僧の言葉を、折りに触れて思いかえしています。」とコメントされています。

 仏像のように、人を幸せにする笑顔を生むには、常に感謝の気持ちを持ち、何事も謙虚に受け止められるようにすることが大切です。不愛想な表情になっている時は、他人への思いやりの気持ちも薄れてしまい、自分も周りも幸せにはなれません。幸い自分の周りにはいつも笑顔を見せ、幸せにしてくれる人がいます。そんな笑顔を見ていると心穏やで優しい気持ちになれます。そこで私も笑顔になれる元を見つけるようにし、それがないときには、作り笑いでもいいからしてみようと思っています。

 木喰上人のように厳しい戒律には耐えられませんが、せめて仏像のように、まあるい心を持ち、笑顔で子供たちと接していきたいと思います。

 余談ですが、木喰上人の造った仏像がマツコ堂(山梨県身延町)に安置されている(いた?)そうですが、何となくマツコ・デラックスさんに似ているのは、気のせいでしようか。

 

 

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治部田