若草学園の実践ブログblog

「阿蘇の草原とともに暮らしています」

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枳原野の野焼き

緑たなびく阿蘇の草原を見たことはありますか?

 

私は阿蘇に生まれ東京や京都で暮らしていましたが、幼い頃の原風景が忘れられず、Uターンしてきました。

 

四季折々の草原の風景は、さまざまな色を子どもの私に教えてくれました。

野焼き後に芽生えた竜胆

野焼き後の草原に竜胆が花開こうとしています

春の草原では冬の寝ぼけた体を目覚めさせてくれるワラビやゼンマイといった山菜が採れます。

雨が降るにつれて背丈が伸びるススキは、もののけ姫の世界のように風にゆらめき、草の海のようです。

夏になれば盆花と呼ばれるサクラソウなどの希少植物があちこちで花を咲かせます。

私の住んでいる地区の原野には、草食のカヤネズミ(絶滅危惧種)も生息しており、草で作った巣を子ども達と探しに行くのが季節の風物詩となっています。

 

秋になるとススキが枯れはじめますが、日が沈むころになると金色の草原になり、風の谷のナウシカのワンシーンのようです。

 

冬になると、雪化粧をした草原でそり遊びをしたり、生き物の足跡探しをしたり。

風穴に行けば、冬でも地熱の影響で、雪の世界にそこだけ花が咲いているという不思議な風景を楽しむこともできます。

 

こんな草原に魅せられた私ですが、若い頃は地域の活動に出るのがとても嫌で逃げ回っていました。

自然保護活動が大事なことだとは分かっていても、私は地域の年配の方々に馴染むことができませんでした。
それでも大好きな草原の風景を守るために私にできることを考え、苦手だった地域の活動に30代後半で飛び込みました。

手作りの火消し棒

材料から調達して作る火消し棒

最初の頃は、残り火を消す係として火消し棒を持って最後尾を歩くところからのスタート。

初めて参加した野焼きでは数十メートル離れた火柱の熱風に圧倒されました。熱い空気は呼吸を妨げ、火に囲まれると熱くて身動きが取れません。身体がすくんでしまい、死傷者が出る阿蘇の野焼きの炎の恐ろしさを痛感しました。

野焼きに参加していくうちに火消し棒を自分で作れるようになろうと考え、野焼きボランティア講習会で火消し棒の作り方を習い、今年は家の近くで寒根カズラを集めて、竹を割って火消し棒(釘や針金は使いません!)の作り方を教えることもできました。

 

数年前からは、軽トラックに500リットルの水タンクと動力噴霧器を積んで、軽トラ消防車のドライバーとして参加し、野焼きの当日はあちこち走り回っています。苦手だったマニュアル車の運転も農作業や地域の活動で上達しました。

軽トラック

軽トラックを活用した消火用車両

こんな風に今までは野焼きだけに参加してきましたが、今年の春から牧野委員に就任しました。今まであんなに苦手だった地域の方との人付き合いも草原を守るという同じ目的を持つ人同士、分かり合えることを学びました。この先次の世代が引き継いでくれるまで、身体が動く限りあと10〜20年はこの草原を守る仕事は続きます。

これからは草千里の野焼きや野焼きの前の防火帯作りなど今まで以上に作業が増えますが、自分達が美しい阿蘇の草原を次の世代に受け継いでいく役割があるのだと思うと、これからの活動が楽しみでワクワクしています!

 

阿蘇がここまで魅力的な観光地であるのは、この草原の風景によるところが大きいですが、この草原は野焼きをしなければ藪化して、雑木林に変わっていきます。それを防いでいるのが野焼きなのです。

1000年の昔から受け継がれてきたと言われているこの野焼きの文化を子どもたちに受け継いでもらえるように、草原学習や地域体験活動で講師として野焼きや阿蘇の自然や文化について出前講座を行うようにもなり、講師依頼も増えました。

春の草千里

春の草千里

 

皆さんも阿蘇にお越しの際は、この風景を地元の牧野組合が守り継いでいるのだということを思い出してください。

もしかしたら皆さんのお住まいの地域にも、ご先祖様から受け継がれてきた地域の宝物があるかもしれませんね。

地域からのお声掛けがある限り、私は子どもたちや地域のためにお役に立とうと思っています。

私が社会福祉士として大切にしていること、「地域のために、子どもたちのために」「できることを、できる範囲で」続けていきたいと再確認した今年の春でした。

相談 井芹