“お兄ちゃんなんだから我慢しなさい!”・“男だろ!?このくらいのこと、痛い痛い言うな、我慢しろ!”。この二つの言葉、先の言葉は母親に、あとの言葉は父親に、子どもの頃ちょくちょく同様の言葉を言われていました。
妹が二人いて長兄の私は、両親が共働きをしている頃、「お兄ちゃんなんだから妹二人分の夕ご飯だけでも作れるようになってもらわないと」と、冷蔵庫の残り物で夕食を作る練習をさせられました。そしていつもの言葉を言われる。スパルタでした。
大学受験で福岡の大学の推薦がすでにもらえていた時の母親の言葉で、「妹二人の将来のことを考えて、お兄ちゃんは熊本に残ってほしい。福岡は諦めて」と。これは過去一でショックでしたし、過去一で我慢した出来事です。因みに妹二人は、上が東京へ、下が大阪へ進学・就職しました。「お兄ちゃんのおかげ」とは言ってくれています。
中学の時、部活中にアキレス腱を切りました。父が病院に連れて行ってくれたのですが、自分の足が思うように動かないわけで、もちろんかなり痛いのですが、そんな自分の状況で涙が出てしまいました。そうしたら父が、「こんな時は奥歯噛みしめとけ!男がこれくらいで泣いたらダメぞ!」と、決して厳しくはないのですが、“中村家の男子たるもの”という教えだけは叩き込まれ、常に”我慢しろ!”とか“こらえろ!”といっていました。我慢しすぎて、折れていたり、ヒビが入っていたりするケガが実は沢山あったようで、別のケガの時“骨折痕がたくさんあるよ”とドクターに言われたことがあります
母からのそれはメンタルに、父からはフィジカルにこたえた“我慢しなさい”。これを原因として忍耐力がつくのは当然のごとく、特別扱いされないことを望むようになってしまったり、人が泣き言を言っていると、口にはしませんが情けなく感じてしまいます。
日本の美徳としての我慢は、平成初期頃まであったとされています。「無理を通すこと」「個人感情を抑えて集団に尽くすこと」が称賛され、「我慢は美徳」「多少の無理は当然」という価値観は大人社会にもあったと思います。現代では評価が揺れていると思います。働き方改革やハラスメントなどが問題に取り上げられる中で、「とにかく我慢すること」を無条件の美徳とする見方は批判されることでしょう。忍耐としての我慢がなくなるとまずいと思いますが、それを使い分けるものとしてとらえる傾向に変化しているとは思います。
組織の中での我慢や身近な関係(家族など)のそれ、又は性格的なものを含め、これがなくなっては逆に回らないと思いますが、ストレスや人間関係への悪影響はもとより、自分自身への影響が出てきます。生きづらさや自尊心の低下、変化や成長の機会を逃したり、喜怒哀楽を感じにくくなったりしてしまいます。何でもというわけにはいきませんが、嫌だと感じたら断る勇気を持つことや、小さな本音を伝えることが大事になってくるのではないかと思うのです。
あかつき・施設長・中村猛

先日の私の投稿(6/24)でも紹介した今年のあかつきのゴーヤ。ここ1週間は、写真の本数ぐらいが毎日収穫できます。もう少し収穫数が多ければ、ご入居者の給食に出せるのですが、、、。