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「思い出と家族」そして人生

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私には今年で満100歳の祖父がいます。要介護4で熊本市近圏の特別養護老人ホームに入居しています。生まれ育った町を一望できる小高い場所に施設があり、よくそこから町を見下ろしているそうです。母方の祖父で、祖父母の世代はもうこの祖父しかおりません。祖父とのかかわりの記憶は、私が高校2年生の時からが濃厚で、それまでは父の転勤が多く熊本を離れており、その期間が長かったせいか、祖父だけでなく他の親戚にもよそよそしい子供に見えていたと思います。父方の祖父母は私が生まれる前には他界していた関係で、祖父母といえば母方で、帰省といえば母方が実家の扱いでした。

田舎の大きな家で、幼少時の記憶では、玄関の土間が広く、軒下で遊べるくらい高床で、蔵もあり立派な屋敷でした。長男の叔父が家を取り家族を持った関係で、少しずつ家の風貌が変わり、10数年前ごろに、今は他界しましたが、祖母が祖父を追うように同じ特養に入居。二人が家に帰ってきやすくするために家をリフォーム。ただ田舎の屋敷にはあるあるの30畳ほどの大広間がある母屋は残してありました。

一昨年の熊本地震により、私の家も半壊でしたが、祖父の家の母屋は全壊で、リフォームした側はきれいに残っていましたが、そちらにもたれかかるように母屋が崩れていました。この母屋の長いお縁に座っている写真や、祖父の眼鏡をかけてふざけている2歳ごろの私の写真があります。記憶にはほとんどない写真ですが、小さいころに祖父の家で過ごした思い出として残っています。数枚の写真の私の思い出に比べれば、祖父の記憶や思い出は90数年です。

熊本地震の年の夏、解体の目処もつかない頃、私の家族と父と母、叔父夫婦、叔母夫婦などで落ちた瓦などの撤去をする日を設け集結した日。震災後初めて祖父を施設から車椅子で家に連れ帰りました。それまで叔父は「母屋が地震で崩れたもんね~。猛んところ(私の家)も半壊てたい…と言ってはあるもんの、こん母屋をじいさんが見たら泣くぞ!😓」と言って中々見せられずにいたので、家族みんなで一緒に見せられるこの機会がベストでした。

がれきを撤去する前に祖父を連れて帰り、「ほらじいちゃん…屋敷はぎゃんなってしもたよ😭」と家族みんなで伝えたところ、悲しく寂しい気持ちが漏れてオイオイと涙流しながら一言、「猛君の家は大丈夫かい?」でした。家族とはこうあるべきだという祖父の気持ちがありがたかったです。孫たちは私以外熊本を離れています。それぞれが遠方で頑張っていますが、子供の時とは真逆で、日頃頼れる孫は私しかおりません。叔父や叔母たちの事までも心配して、「猛君、おじちゃんたちば頼むけんな」と言ってきます。

入居されている方々にも、何かしら思い出を処分したり、ご家族との関係性にもひとつやふたつ思うことがあると思います。軽費老人ホームは通過施設ともよく言われます。だとして、皆様が人生の途中に暁荘に立ち寄られていると表現して、人生の一部である暁荘が、ここでの新しい思い出づくりや、ご家族との在り方を見つめる場所として、最適な場所であることを望みますし、暁荘が人生の一部となったことが良かったと思っていただけるよう、日々、入居者の皆様のために努力しまたは精進しなくてはいけないなと思う、私の祖父が教えてくれた「思い出と家族」の話をさせていただきました。

 

暁荘・施設長  中村 猛🍀