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「今年あかつき50年・私30年目で”あの日”を思い出してみた」中村

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あの日。”暁荘(旧称)と言えば中村さんがいると言われるように頑張ります”と、入職初日に宣言したあの日。

あの日。私が当時の施設長に叱られ反発してしまったあの日。まだ1年目の私に当時の上司が作った事業計画を施設長に提出してこいと命じられ提出したら、「幼稚園生を雇ったわけじゃなかぞ!こぎゃん作り方があるかい!お前が作ったつかい⁉」と言われ、若気の至りで「俺が作ったんじゃなか!」と言ってしまったあの日。自分が悪くなくても施設長に使ってはいけない言葉だと反省したあの日。

あの日。入職して初めての大雪の日。一人でせっせと雪だるまを造って、ご入居者に喜んでもらおうと頑張った日。

あの日。夏祭りの櫓解体中、大きなまま倒れてきた櫓の下敷きになりケガをした。翌日入籍予定だったからか、奇跡的に1日だけの入院で済んだあの日。(頭に当たってたら死んでいたかも)

あの日。トラブルばかり起こされるご入居者がいて、その方がいるからと次々に他の方々が退所されていったあの頃。当時の上司に「お前は黙って入居申込者を増やしておけ」と言われ悔し涙を流したあの日。

あの日。霧島にご入居者の一泊旅行を計画したあの日。ナビもスマホもない時代、休日にマイカーで下見に行ったら、なぜか宮崎県にいて迷子になってたあの日。

あの日。部会の代表で県大会の発表者として登壇したあの日。文明の利器が使えず、暗記した原稿をただ読み上げるだけの発表だった。ただ、いまだに”あれはあれで良かったよ”と言ってくれる古い知り合いがいてくれている。

節分のあの日。何もかもが凍結してしまって屋上から転落してしまい全治6か月の大けがをしてしまったあの日。レスキューまで来て助けられ入院・手術を経て、リハビリを人の何倍もこなし、3ヶ月の入院予定を40日で退院し復職したあの日。

顔が青ざめたあの日。全法人理事長に”中村君たちみんな他の法人に移ってもらう事になったから…”と言われたあの日。数か月間他の職員たちには黙っておかなければならず、最終的には”中村君には施設長になってもらいたい”と言われ、部下に「顔が青ざめてますよ!?」と言われたあの日。

白川園の一員になったあの日。前法人とはまるで違う雰囲気に自分以上に職員たちが戸惑っていたあの日。バタバタと慣れない事務手続きに追われながら奮闘したあの日・あの頃。

ドッカンと揺れに揺れたあの日。自宅・自室のベッドが部屋の中をあちこちと滑ったあの日。慌てて家を出て施設に走り、ご入居者方が全員無事だったその日。3年もかかってようやく施設の災害復旧がかない、見違える白さの建物に変貌したあの日。

上司に特別に指導されたあの日。指導されたことは仕方ないと何も言わず飲み込んだ。が、その原因となる出来事は誤解によるもので、それがなければ指導されることもなかっただろうと、今でも悔しくて、その誤解を招いた張本人の方のことが好きになれない。

復活したあの日。休止していたあかつきの通所が7年ぶりに運営を再開したあの日。職員が少々増え、貯めていた積立金を使い果たしリフォーム。ちょっとだけ責任が増えたあの日。責任はいつもちょっとずつ増えている。

 

あかつきは、本年9月に創立50年となります。今までも何度か言ってきましたが、私もあかつきと同級生で、在職は春から30年目に入ります。これから先も特別に覚えている”あの日・あの時・あの頃・その時”みたいなことが沢山あるのかなぁと感慨にふけりながら、少し昔のことを思い出してみました。

 入職当時の私(若くて細いなぁ)