私の知人の息子さんが、今家で引きこもっているというお話を聞きました。高校から引きこもりはスタートし、勉強だけは出来て大学には進学したとのこと(昨春) ”大学デビュ―しよう!”とお祝いしたことを以前聞いていたのですが、いざ大学生活のこの1年間、1割程度しか大学に行けなかったそうです。単位は足りていないだろうから留年だろうとお話されていました。しかしこの知人あまり残念がっておらず、「息子にしかお金を使わないから少々の留年は許容範囲なんだよね~」とあっけらかんとしています。「引きこもっている間に自分にとって「楽」なことが見つかるかもしれないから、その「楽」を選択して将来につなげられるといいんだけどなぁ」とも言っておられました。知人は引きこもっている息子さんの現状を”楽している(怠けている)”とは決して思っておられません。事情がありシングルファーザーなのですが、何も言わなくても息子さんは家事はしてくれているとのこと。飼っている犬はいつもいい匂いがするらしく、ちゃんとシャンプーしてくれていることがわかるそうです。知人は、若い人が読む雑誌を買って帰ったり、サブスクで映画を一緒に見たり、テレビゲームも一緒にするそうです。今度は一緒に自転車を買いに行きサイクリングに挑戦予定だとか、ハイキングなどしてキャンプも予定しているそうです。息子さんのために生きているといった感じの知人もとても楽しそうでした。素晴らしいお父さんです。
「楽」なことの選択が、自身にとってどれだけ良いものなのか考えたことがありますか? 他者から見て”あれは楽している”とか”怠けている”とか見られることの「楽」ではなくて、”それが一番自分にとってたやすくできること”という意味に寄った考え方です。私の場合、この意味で一番「楽」で「好き」で「楽しさ」を感じながらやれるとすれば、物づくりに関連した仕事(大工さんなど)や車関連の仕事、またはエクステリア(庭造り)等の仕事だったかもしれませんが、選択しなかったという結果が今です。
子供のころから人見知りなのに、何かにつけリーダー的役回りをさせられることが多く、これを”楽”と感じたことはありません。責任が伴ないますし、先頭に立たないといけません。人見知りなのにおしゃべりができないといけません。私には向いていないと思いながら無理に頑張っていた記憶ばかりです。ある意味、人が言う”楽”はしてきませんでした。今でもそうです。施設長という役回りは重大な責任が伴ないます。自分には向いていないと思う日々です。当然ながらたやすくなんてできない仕事です。しかし誰かがしなくてはならなくて、私を選んだ人がいて、私でいいという人がいて、私は今ここに座っています。一番施設のことがわかっているという自負はあります。施設長としてではなく、施設の一員として見れば、たやすくできると言い換えることもできるのかもしれません。
お仕事ですから、どんな仕事も楽なものはありません。もれなく福祉の仕事も楽ではありません。そしてたやすくできるものでもありません。が、プロとしてこの仕事をし続けることこそ、知人の話からしても、私にとって「楽」な選択をしているのだと考えています。
少し関連しますが有名人の名言をご紹介します。「”得意なこと”と”やりたいこと”は一致しないんだよ。だから、まずは”得意なこと”を見つけなさい。それが成功すれば”やりたいこと”ができるようになってくるから」 若い人は知らないかな。萩本欽一さん(欽ちゃん)の言葉です。「楽」を見つけることと繋がる名言だと思います。
あかつき・施設長・中村 猛🍀
サンテあかつきの前の花壇の今です。手前向かって右の紫と白の花はご存知でしょうか。”バンマツリ”と言います。”ニオイバンマツリ”ともいい、かすかな甘い良い匂いをただよわせます。紫で咲き始め2~3日後くらいに花びらが白く変化します。決して2本の木ではなく1本でこうなります。私も我が家に植えており、あかつきにも2本植えました。通所前のばんまつりは旺盛に成長しています。