あかつきの実践ブログblog

「どっちが本当の私?」暁荘・中村🍀

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小学生頃からの私の変わった悩み事です。

私は鏡越しに映る自分の顔を見慣れています。これが自分の顔という認識ですが、それは反転された顔なわけで、人は反転されていない私の顔を見慣れているわけです。カメラに撮られた顔は私自身違和感を覚えます。ここまでは誰もが「当たり前たい!」と思われるでしょう。私はここからが変なのです。今この瞬間に私の顔面についている眼で、反転されていない自分の顔を見るにはどうしたらいいのだろう…と、または、一生自分の目で生の顔面を見ることはできないだろうなと、現実にも直面し、馬鹿げたこの悩みで眠れないことが過去多々ありました。こんな悩み事をする人がこの世の中にいるのだろうか⁉、自分と同じ悩みを持つ人と、「生の自分の顔面を見たい!!」という欲求を共有してみたいとも考えたりします。自分でも思います。変人ですよね(;^_^A

ただ歳をとるにつれ、この悩み事はバージョンアップしました。鏡に映る私の顔は私一人だけの為の顔。私以外の多くの人には、私が見たいと思っている反転されていない顔を見ているわけですから、私vs万人であれば、どっちが私の顔?という疑問にぶつかり、答えとしては万人が見ている顔が本当の私ではないかと…。例えば、私は自分ではそう大きいとは思っていません。ただ人から言わせれば十分大きいといわれます。行きつくところ、自分が思っているほど、自分を理解(把握)出来ていないのではないか…、人が見ている私の容姿が本当の私なのではないか…と。

こんな風に考え方がバージョンアップしてみて気付いたことがあります。もちろん自分のことは自分が良く分かっているわけですが、ある意味、人の方が私のことをよく見ていて理解しているとすれば、いつも人に見られている意識を持たなくてはいけないのだと。以前のブログに、人は自分を見てくれ評価してくれていると書きました。見られているから一生懸命仕事をしたり、いい人だと思われたいから善行をするのではなく、自然にできることを目指していれば、私が知らない私のことを、人は評価してくれるのだと思います。それでも私はやっぱり変人は変人ですよね(;^_^A。 ”哲学的やな~”とか、”研究・追及して、いずれ必ず顔面を見てやる!”などと考えていた小・中学生の頃が懐かしく、高校生ぐらいから現実的になりつつも、生の顔を見てみたい欲求は今も消えていません。

人から見た本当の私が、人から愛される、または信頼される人・仕事に一生懸命な人などと思われていればいいなぁと感じますし、やっぱり中村さんは変人だよね!とか、面白い人だよね!、気を遣わなくていい人だよね!、と思ってもらえるように日々行動しなくちゃ、本当の自分の為にならないかな?って思う今日この頃です。

もし万が一、顔面を見ることが出来た暁には(ありえませんが)、皆様に盛大にご報告いたします✌(笑)

暁荘・施設長・中村 猛🍀