子どもの心に残るのは
親が与えてくれたもの自体ではなく
「愛を注いでもらった」という感覚である
―リチャード・L・エバシズ
今日は、モノと心について、書きたいと思います。
もうすぐ終戦記念日ですね。
1945年8月15日正午、「大東亜戦争終結の詔書」を昭和天皇が朗読した音声が、ラジオ放送されました。
有名な「玉音放送」です。
この放送で、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられました。
つらいつらい戦争が終わったあと、日本は復興へとがむしゃらに頑張ってきました。
モノのない時代に、多くの人は「モノがあることが幸せ」と思い、少しずついろんなものを手にしてきました。
みなさんは、戦後日本の「三種の神器」ってご存知でしょうか?
本来の「三種の神器」は、日本神話のなかで天照大神から授けられたという”鏡・玉・剣”の3つのことなんだそうです。
これが、戦後日本においては、”白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機”の3つが、「三種の神器」と呼ばれました。
これらの新しい時代の生活必需品を手に入れることが、豊かさや憧れの象徴だったわけですね。
そして今では、”テレビ・冷蔵庫・洗濯機”は当たり前、一人一台の自家用車や携帯電話など、とても便利な世の中になりました。
そんな世の中の流れの中では、どうしても、
モノを中心とした幸せばかりに目がいってしまいますね。
モノを沢山持っていることだけが幸せであり、子供にもモノを与えることが愛情だと思い、
モノが ある意味”神様”になってしまっています。
「学校に行かせてやる」
「いっぱい洋服を買ってやる」
「塾に行かせてやる」など、
子供を”立派な人になるように”と、モノを与え、期待をしてしまいがちです。
でももし、子供が親の思うようにならないと…、親は「これだけしてやったのに!」と怒ってしまうかもしれません。
”立派”って、いったいどういうことでしょう?
「立派な学校へ行き」「立派なところに就職して」「いっぱいお金を稼ぐ」ことでしょうか?
高学歴で高収入な人だから価値があり、そうでない人には価値がないのでしょうか?
もちろん、これも一つの考え方かもしれませんが、なんだか違和感もありますね。
今の私達は、物質的な価値観に振り回され、大事なことを忘れがちになっている気もします。
目に見えないところを、おろそかにしている気がするのです。
今は、心の乱世の時代に入っているのかもしれません。
こんな時代の中で、私の考える「立派な人」というのは、「人に愛情を与えられる人」のこと。
モノはもちろんとっても大切なのですが、それだけじゃなくて、そこに心も込めることができる人が、素晴らしいと思うのです。
では、自分の子供を「人に愛情を与えられる人」に育てるには、どうすればいいのか。
まず親である自分自身が、子供に愛情を与えてあげることが大切です。
そんなに難しいことはありません。
例えば毎日の食事なら、
コンビニのおにぎりとインスタントのお味噌汁ではなく、手で握ったおにぎりと手作りのお味噌汁を食べさせる。
まずはこれだけでいいんです。
子どもに与えているモノに、愛情を加える工夫を、少しずつしてみましょう。
そうすればきっとその子も、愛情をまた別の人に与えられる人に育ってくれるでしょう。
吉良