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コミュニケーションは五感で!

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学園(入所)の朝は子どもたちの「おはようございます」という元気なあいさつから始まります。そのあいさつの声がない時や元気のない声だと、今朝はどうしたのかな?と思ってしまいます。このように言葉は人がコミュニケーションをとる際の大きな手段ですが、その言葉を使うことが難しい子どもたちがいます。そのような子どもたちとうまくコミュニケーションをとるにはどうしたらよいのか悩んでしまうことがよくあります。言葉で自分の意思を伝えられればお互いにどれだけ楽なのだろうと考えてしまいますが、それができないのが現実です。しかし、それは自分が言葉というコミュニケーション手段に捉われているからなのかもしれません、アメリカの心理学者アルバート・メラビアンの研究によると、日常生活において言葉はコミュニケーション全体の7%しかその役割を果たしていないと言われています(好意・反感などの態度や感情を伴うような場合を主にした実験:メラビアンの法則/ Wikipediaより)。つまり、非言語的なものがコミュニケーションにおいて重要な役割を果たしているということです。確かに自分の生活を振り返ってみても表情や態度など非言語的なもので伝えていることの方が多い気がします。学園においても言葉でのコミュニケーションが難しい子どもたちと接している中で、嬉しい時には笑い、嫌な時には怒った表情や態度を示すことがあります。しかし、これも自分がそう思っているだけで子どもたちがどう感じ、思っているかは実際のところわかりません。私自身今まで子どもたちの発するメッセージをきちんと受け止められていたのだろうか、そして、きちんと応えるように表現できていたのだろうかと考えることがよくあります。

 

人は五感(見る、聞く、匂う、味わう、触る)を通して情報を得ていますが、その時に大切になるのが、相手のありのままを見たり聞いたりしているのか、ということです。簡単なようで実は難しいものです。人は見たくないもの、聞きたくないことを、遮断してしまいがちです。時にはなかったことのようにさえしてしまうことがあります。つまり、自分にとって都合の悪いことは受け入れたがらない傾向があります。これもすべての場合において悪い訳ではありません、辛いことや悲しいことがあったときにはそう思うほうがよい場合もあります。気を付けなくてはならないのは、「嫌だな」と思うような時には、相手のことを自分の都合で勝手に遮断してしまう、「いつものことだからそうだろう」と思い込んでしまうと言葉以外に込められているもの(感情や微妙なニュアンス)を捉えることができず、大事なものを見落としてしまうかもしれないからです。私自身、家族の愚痴など聞くと、また始まったと思いシャットダウンしていることがあります。子どもたちの中には毎日同じようなことを繰り返ししゃべるので、また始まったと思ってしまうことがよくありますが、このような時は「ちゃんときけよ」と自分に言い聞かせて聴くようにしています。

人が「聴く」という場合には、五感の「聞く」機能だけを使っているわけではなく、その他の感覚も同時に使っています。例えば、方言でしゃべられている時や外国人に話しかけられた場合などは聞いているのに分かりません。しかし、何を言われているのか分からなくても言葉のニュアンスや動作、表情などを見て何とか分かろうとします。また、赤ちゃんの場合は言葉になりません、泣いていても何が原因なのかほかの人にはわかりませんが、一緒に生活している母親はその泣き方でミルクなのか、おむつが濡れているのかなどが分かるといいます。つまり、全部ではありませんが、言葉が通じなくてもコミュニケーションが可能だということです。

このように五感を使ったコミュニケーションは一朝一夕にできるものではありませんが、少しでも子どもたちと分かり合えるようなコミュニケーションづくりを目指し、努力していきたいと思っています。

 

入所部 治部田 均