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「自分が入居したい施設ってどんな施設だろう?」

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私が暁荘に入職したのが平成6年4月、早いものでもうかれこれ24年、いわゆる生え抜きです。

二十歳で入職したその日から生活相談員(当時は生活指導員)。右も左もわからない新米を当時の入居者の皆様も温かく迎えてくださり、初日の挨拶の言葉を今でも覚えています。「暁荘イコール中村指導員。暁荘?あぁ中村指導員がいるとこね!…と誰にでも言ってもらえるようになります!」と宣言しました。今はどうでしょう…ナント施設長にまでなってしまいまして偉くなったもんだと自分でも感心しながらも、当時の自分の目標が達成できているのか…評価は人がするものです。まあそれでもだいぶ認知されていると思います。

入居者には、地域の自治会活動や老人会にも多数の方が属し、昔から地域住民としてなじんでいました。当時、町内老人会の副会長をされていた入居者のHさん(男性)が、「中村君、老人会の例会があるから一緒に行こう!」とおっしゃたので、同行したところ、「今度新しく暁荘に採用された中村指導員です。皆さんどうぞよろしく!」と私がご挨拶する前に紹介してくださいました。また数カ月したある日、例会に同行を促されて行くと、会の途中で口を挟まれ会員の皆様に向けて、「暁荘にはいい指導員が来てくれた。生意気だという会員がいるそうだが、どこが生意気なんだ。中村君は器用で、色々楽しませてくれて、入居者に対して親身だ。老人会にも親身になってくれるはずだから、何でも頼みなっせ!」と…何か地域で声が出てたんでしょう。私を助けてくださいましたし、若かった私を育ててくださいました。もう随分前にお亡くなりですが、暁荘では数例しかないターミナルケアにて、ロンドン在住の娘さまにも最後の1カ月だけご本人に付き添っていただくため帰熊して頂き、一緒に看取りを行うことが出来ました。私は暁荘で沢山の方々との出会いがありましたが、Hさんは特に思い入れのある方です。

極々最近、現在入居されている83歳の女性Oさんに、「中村施設長は私のお父さんみたいに思ってます。私の父はとても優しい人でした」と言われ、え!?と思いつつも、とてもうれしかったです。ご入居の皆様にとって、孫か息子だった存在の私が、今では父親と言われるようにまでなってしまっていることに驚きですが、私の仕事のモットーとして、一人の方の情報は広く深く知っておくことと、入居者からの頼まれごとは後回しにせず、すぐして差し上げること(後から行きますので部屋で待っててください…と言わない)などを実践してきたことで、親身になれる上、信頼を築けているのだと思っています。本当の家族にはなり得ませんが、暁荘で生活している間のことは、ご家族よりも理解できていると自信をもって日々対応しています。

自分が入りたいと思える施設に暁荘がなっているかを考えることがよくあります。それって大事なことだと思っています。軽費老人ホームで最も使われるフレーズは、〈家庭的な施設〉です。沢山の施設がこの言葉を使います。もちろん暁荘も家庭的ではありますし、親身に職員が対応していると思います。

自分がここに入居する時を考えた時、ここにプラス、やはり信頼できる人がいるかどうかを大事にしたいのです。ただ、信頼に足る人材がいるかどうかは入居してみないとわからないものです。だからこそ、見学や申し込みに行った時、施設内の活気や家庭的な雰囲気が感じられるようにしてあることが大事だと思うのです。

社会福祉法人や高齢者福祉には色々と課題・難題があり、取り組みには専門的知識も必要以上に増え、権利や尊厳を守るためのルールも多いのですが、まずもって「人材(職員)が暁荘をつくるという考え方の中で、私も職員たちも努力し、沢山の方々に選んでもらえる施設づくりを目指してまいります。

           軽費老人ホーム 暁荘・施設長  中村 猛

           

※上記写真は敬老のお祝い会で職員が私をサザエさんに見立てて踊りを披露しました。下記写真は、ひな祭りの食事会でおひなさま(暁荘のすすけびな役)をした時のスナップです。