あかつきの実践ブログblog

「安心」中村🍀

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民法でも教育基本法でも、表現は違えど児童福祉法でも様々な法律で、親(保護者)は子の教育や育成に責任と義務があることを謳っています。”一義的”と表現しているものもあり、一番大切な事・根本的にという意味でもあるので、親が子を育てるということは、当たり前の事・それがノーマルな事なのです。私も親の立場として子の教育などをこれが普通だとか当り前のことだ…なんて思わず自然に実践しています。

その過程で躾や教育は当然ながら、親が子の生育をするうえで、子に何を一番与えなければならないかは、”安心”だと思っていて、精神面の安定が子の成長に必要不可欠なものと認識しています。

そして子供たちは安心をもらいながら大人になることで、いつからか、子が親に安心を与え始め、精神面の安定をもたらしてくれるようになります。全ての人がそうだとは言えないのですが、あかつきのご入居者の大半も、子供さん(その他のご家族を含め)の存在は大きいもののようです。

先日、私の誕生日に届くようにと福岡の娘から、初めて郵便で手紙✉が届きました。「心配性のお父さん…」みたいな変な似顔絵と小さい頃の写真付きのものでした。コロナ禍での自粛も続いておりますし、県外に出た娘を特に父親である私が心配していることを悟って送ってくれたもののようです。また、最近私があるアーティストの絵に興味を持っている事に気付いており、福岡の雑貨屋さんでその方のコーナーを見つけたと、絵は高いので絵がプリントされたクッションを小包で送ってきました(帰省した時に代金は請求されるそうです💦)。こんな何やかんやのコミュニケーションを取りながら、娘が私を心配してくれている事で、現状(大学の事や周辺のコロナ事情)も聞けますし、ある意味”安心”を届けられているのだと思っています。

親が子を見る事とは逆に、子が親を見ることは私が知る限りでは法律ではっきりとは明記されていないと思います。しかし、私を含め親たちが子に安心を自然に与えていたことで、いつからかそれが当たり前のように逆転していく、これがあるべき姿で、法律で図れない大切な摂理かと思います。

とはいえ、世の中は、愛情があってもそれをうまく伝えられない親や、虐待によって悲しい結末になるお子さん、親を放って自分たちの生活を優先にする子供達や、家族はいるのに天涯孤独のような生活をしているお年寄りなど、事情をそれぞれにあれど、悲しく寂しい現実もそこにあります。

私は現在、従弟たちが県外在住であることから、実の親以外に二組の叔父・叔母計6人の身元引受役をしています。全員が何かにつけ私を頼ってくれています。子供として甥っ子(家族)として、出来るだけの事は当たり前のことと思い、してあげようと思っています。得があるわけではないですが、私がこの福祉の仕事をしている事でさらに家族へ”安心”を与える事に無関心で居られなくなっていて、そして最近親から受け継いだバトンが娘に引き継がれそうになっている事に気づかされ、このようなブログを思いついたわけです。

まぁ…でもまだまだ娘にバトンを渡すわけにはいきません。まだまだ親達へも子供達へも”安心”を与える側にいなければ!。そして、ご入居者の皆様へも”安心”の提供を、ご家族には及ばないなりに頑張らねば!

 

あかつき・施設長・中村 猛🍀