緑ケ丘保育園の実践ブログblog

🎏子どもの日に思うこと🎏

カテゴリー:緑ケ丘保育園の実践ブログ

こいのぼり

♪やねより たかい こいのぼり

 大きい まごいは おとうさん

 ちいさい ひごいは こどもたち

 おもしろそうに およいでる♪

皆さんがよく知っている「こいのぼり」の歌です。黒の真鯉を父親、小さい緋鯉を子どもと見立て、「男の子(と父親)が健康に暮らせるようにという願いが込められたこいのぼりが、空を楽しそうに泳いでいますよ」という風景をストレートに表現しています。母親が歌詞に登場しないのは、端午の節句が男の子を祝う行事であり、発表された当時は、父親が一家の大黒柱という考えが強かったためだと言うことです。でも2番の歌詞には・・・

♪やねより たかい こいのぼり

 おおきい ひごいは おかあさん

 小さい まごいは こどもたち

 おもしろそうに およいでる♪

2番の歌詩は母親も子どもと一緒に楽しそうに空を泳いでいます。こいのぼりには子どもの健やかな成長を願う想いが込められいます。今も昔も親が子を思う気持ちは同じなんですね♡

「子どもの日」といえば

私が小さい頃、と言っても約50年くらい昔の話ですが・・・「こどもの日」には家庭でちまきや柏餅を作りお祝いをしてくれていました。それを頬張りながらこいのぼりが、5月の風をうけて気持ちよさそうに空を泳ぐ様子を見上げていました。そしてお風呂には菖蒲(しょうぶ)の葉を浮かべ「今日はしょうぶ湯にはいるとよ」と言われ、なんだかうれしくて菖蒲の葉の香りのするお風呂に姉弟でわいわい言いながら入っていたのを覚えています。今でもちまきの味や柏餅の柏の葉の蒸されたにおい、そして何よりも自分は家族から大事に思われているんだというあたたかい気持ちだったことを思いだします。

当時両親も随分と私を可愛がってくれましたが、父親も母親も毎日仕事が忙しかったのでその分おばあちゃんと一緒にいた時間が長く特に私はおばあちゃん子でしたから、おばあちゃんからたいそう可愛がられていた記憶が残っています。 例えばひな祭りのひし餅やひなあられ、子どもの日のちまき、そしてお盆に作る盆団子などはおばあちゃんの味です。 おばあちゃんはいつも優しくて、何かあればおばあちゃんに泣きついていた私です。お腹が痛いといえば「どこがいたかね?」と言って痛いところをさすってくれました。すると不思議に痛くなくなりおばあちゃんの手はどんな薬よりも私にはききました。こたつでうたた寝をしている私の髪を優しく撫でて「かわいい。かわいい。」とおばあちゃんの手が言ってくれて私を優しい夢の世界へ誘ってくれました。そして夜はおばあちゃと一緒に寝ていましたので冬は冷えて冷たくなった私の足をさすっては温めてくれました。いつも笑顔で見守りそして私の心をあったかーくしてくれていたおばあちゃんです。

                                  

 時が経ち私も大きくなり、今度は私がおばあちゃんを守ってあげたくて嫁ぐ前の日まで自分の部屋ではなく、おばあちゃんの部屋で一緒に過しました。私が嫁ぐことがか決まった時、おばあちゃんは「トンちゃん(私のニックネーム)は嫁にいくとかい?」と寂しそうに私に話しかけてきたことを今でも思いだします。私が何をしてもすべてを包み込み、私のことをいつも温かく見守っていてくれたおばあちゃん。今でもおばあちゃんのあたたかい手の温もりが残っています。...そんなおばあちゃんも他界し、今年33回忌です。

こどもの日が来ると自分の子どもの頃を思い出し優しくしてくれたおばあちゃんのことをいつも以上に思いだします。

私がまわりの人に感謝をし優しくできるのは、おばあちゃんから貰った優しさのおかげだと思っています。心からおばあちゃんに感謝します。

人は誰かに優しくされることで優しい心が育つのでしょうね。できれば私がもらった優しさは次の世代へと引き継いほしいと思うのです。

「こいのぼり」のように、小さい緋鯉が大きい真鯉と大きい緋鯉から見守られ、お腹いっぱいに5月の風を吸い込んで泳いでいけるように、子どもたちの心には寄り添う誰かが必ず必要です。私もその一人になれたらと思います。この先の世を担う子どもたちを私たち大人が優しく見守っていけたらと思います。  

 

吉良仁美