白川の里の実践ブログblog

気づきを築く

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先日、ある法話を拝聴する機会がありました。その内容はこうです。

 

今日、「地獄」と「浄土」について考えてみます。地獄は「苦」の世界。ありとあらゆる苦しみの世界。

では、「浄土」とは。それは仏様の世界で、盗みや殺生といった悪がまったくない。「悪」という言葉すらない理想的な世界。

ただ、これは私たちが死んだ後の話だけではなく、今の私たちの中に作り出されている世界です。

例えば、今、目の前に大きなテーブルがあって、そのテーブルには、この世の物とも思えないほどの美味しい料理が山のように積み上げられています。テーブルの周りの椅子に腰掛け、たくさんの人間がその料理を食し始めました。ところが!誰一人として料理を口に運ぶことが出来ません。それもそのはず、料理を取るための箸が3メートルもあったのです。お腹はへっていても、目の前の料理が食べれない!空腹と怒りと情けなさと絶望。おのおのが罵倒しあい罵りあう。『俺の料理だ!取るんじゃない!』『さわるな!俺のものだ!』『あぁ!食べれない!』そこはまさに『地獄』…

 さて…『浄土』を覗いてみましょう。浄土にも地獄と同じテーブル・料理・椅子・箸があります。先程はまさに地獄絵図の様でした。浄土では…みんな和気あいあいと雑談をしながら笑っています。それはまさに『浄土』…

よく見てみると、テーブルを囲んで座っている人間たちはみな口を動かしています!全員が料理を食べているのです。なんと、3メートルの箸を使って、自分の正面の人の口に料理を運んでいました。『あなたは何がたべたいですか?あっ!これですねっ。さぁどうぞお食べください』『ありがとうございます。次はわたしの番ですね。どの料理をお取りしましょうか?』と云うように。自分ではなく他人を優先することで、物事が上手くいく。まさに『利他』という考えです。

この法話を拝聴し、私は気付かされました。物事とは、どう捉え考え感じるかによって、今、自分が地獄にいるのか浄土にいるのかが決まっていくという事を。

毎日、自分の身に起きえることを、自分の力で変えることは難しいと思います。

自分自身も、過去に違う行動を起こしておけば、現在の姿とは違うものであったのではないかと思うこともあります。

しかし、今の自分があるのは自分自身の力ではなく、今まで出会った方々とのご縁、そして、ご縁頂いた方々に支えられ助けられたおかげで生かされているのです。それこそが浄土真宗の教えのひとつ『他力本願』です。

大事なのは、その物事に一喜一憂するのではなく、客観的に考え判断することだと思います。

そして行動を起すときは、いろいろなやり方がある中で、自分にとって簡単な道を選ばすあえて困難な道を選ぶ、つまりチャレンジ精神で挑み続けることで、『浄土』への道が開けるのではないでしょうか。

 

総務課 森川 昌樹