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「八正道」に生きる

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学園に勤め始めて3ヶ月余り、ようやく仕事にも少し慣れ、子どもたちも私を受け入れ始めてくれたかな?と勝手に思っているこのごろです。

しかし、まだまだ知らないことがたくさんあり、子どもたちとの関わり方も模索しながらの日々が続いています。

そんな中で仏教の「八正道」というものが目に留まり、なるほどと思えることがありましたので、

今回はこの「八正道」(正命(しょうみょう)・正見(しょうけん)・正語(しょうご)・正業(しょうぎょう)・正精進(しょうじょうしん)・正念(しょうねん)・正定(しょうじょう)・正思(しょうし)…(無害心(むがいしん)・無瞋恚(むしんに)・無貪欲(むどんよく))を通して、自分と子どもたちとの関わり方について考えてみることにしました。

 

 

「八正道」とは、字のごとく人として正しく生きるには八つの道(方法)があり、それを実践するのがとよいとされているものです。

これについて自分なりに考えてみましたが、あくまでも私見の解釈なので、そこは違うとご指摘されるものもあると思いますがその点はお許しください。

 

まず八正道のなかの「正命」(職業と解釈)では、人は働いて社会や人のために貢献することが大切であり、その仕事が本当に人(命)のためになっているのかが問われています。

このことは本学園に勤務しているとそれを実感することが多く、正に学園の目指す「いのちに寄り添う」仕事がそうであり、身の引き締まる思いがしています。

また、世の中は無常(人を含めすべてのものは変化している)であり、私を含め子どもたちも変化(成長)を続けています。しかし、人というものは昨日できたことが今日はできないとつい面倒だと思ってしまうなど、変化を嫌うものです。

子どもたちが日々変化(成長)しようとしていることに気づくためには「正見」(正しく見る)ことが必要で、そのためには「正念」(客観的に見る)の立場で見ていくことが大切とされています。

人はどうしても自分の価値観で物事を見てしまいがちです、普段から自分の主観を入れずに子どもたちをあるがまま受け入れられるよう心に余裕を持っていきたいものです。

子どもたちが社会で生きていくためには、何が「正業」(正しい行い)なのかを判断する力が求められます。

そのためには、自他を意識し人のものを勝手に使わないことや人の気持ちがわかる、人を傷つけないといった感情を磨くことまで幅広く身につけなくてはなりません。

しかし、これは簡単なことではなく私自身でさえ時にはついイライラして人にあたってしまうことがあります。

まして発達段階にある子どもたちの場合は、不満やイライラをうまくコントロールする力が育っているとはいえず、それが顕著に現れることがあります。

言葉遣いにおいても同様で、言葉はその使い方によって人を元気にできますが、逆に人を傷つけてしまうこともあります。

私自身も普段何気なくつかっている言葉が本当にそれでよいのか、子どもたちの反応から教わることもあります。

行動だけでなく「正語」(正しい言葉づかい)が自然と出せて、子どもたちの手本となるようにしなくてはと自問自答の毎日です。

 

あれこれと書いてきましたが、どうしたら少しでも子どもたちの気持ちを理解し良い方向へ向かうことができるのか、自分ひとりでは迷うことが多く、また、ひとりの力ではできないことも多くあります。

そのような時こそ職員のチームワーク力で、子どもたちの気持ちに寄り添い、課題となっている点を改善していくことが出来るものと信じています。

また、共に「正精進」(努力)し、「正思」でいう「無害心」(人を傷つけず、気持ちに寄り添う)、「無瞋恚」(思い通りにならずとも人を恨まず、怒らず)、「無貪欲」(自分ができないことを悩まず、相手に必要以上のことを求めない)になることで自分自身も子どもたちも少しは楽になれるのではと考えています。

とはいうものの自分もまだまだ雑念の多い未熟な存在ですから、どれだけできるかはわかりません、当分は四苦八苦の日々が続くことと思いますが、そんな時は、「正定」(瞑想、深呼吸でもいい)することにします。

そうすることで少しでも気持ちを落ち着かせ、この「八正道」を思い出しながら冷静に考えて行動できると思うからです。<喝!>

 

 

 

入所部 治部田