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重症心身障害児への支援の講義を受けて ~医療の力~

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先日、認定NPO法人 NEXTEP 理事長で熊本再春医療センター小児科医長でいらっしゃる島津先生のご講義を受けさせていただきました。

 

重い障害があっても親子がお家で笑顔いっぱいで暮らす当たり前の社会

すべての子供たちが生まれてきてよかったと思えるように

すべての子供たちが笑顔でいられるあたたかい地域社会を作る

 

このような信念のもと人工呼吸器などの医療ケアが欠かせない重い障害のある方から不登校など心理的サポートを必要とする方までの幅広い支援を実践されていらっしゃることに感銘を受けました。島津先生は医療ということを越えて治療で助けるだけでなく生活を豊かにするということに心をくだいておられます。時には白衣をぬいでショコラティエとなり若者のサポートもされています。

 

その中でクリスマスやハロウィンなど季節の行事にはスタッフの方々と共に仮装されて子どもたちを楽しませていらっしゃる姿があり私自身も同じような経験をしたことを懐かしく思い出しました。

 

前回の私のブログに登場したダウン症の娘は合併症に心室中隔欠損、卵円孔開存症、肺動脈分岐部狭窄の心疾患があり、根治手術が終わった後も一年ほど入退院を繰り返していました。ある時、二週ごとの検診で診察を受けると「あらら お母さん 今日は帰れませんね このまま入院しましょうか」と言われて入院しました。

そうしてクリスマスの夜、病室に現れたのは主治医扮するサンタさん!赤い衣装に白いひげをつけて一つ一つ病室を廻って子供たちを楽しませていらっしゃいました。

○○長と名のつく偉い先生なんですよ!そんな先生が来てくださってとてもうれしかったのを覚えています。

医療に携わる方々は、みなさん医療を施すことだけでなく患者さんの心を豊かにすることを心掛けていらっしゃるのが伝わります。

 

私は初めから娘を受け入れられたわけではありません。お医者様や看護師のみなさんが頑なだったわたしのこころをほどいてくださいました。これも医療の力だと思います。

 

私は生まれてすぐには娘をかわいいとは思えませんでした。生まれた時の顔を見てすぐにダウン症だとわかり、絶望感に苛まれました。

私は養護学校の先生をしている友人がいて、学校行事に足を運びダウン症のお子さんをよく見知っていました。「ダウンちゃんってかわいいよね!」などと言っていた私は、自分の身にダウン症という障がいのある子が生まれるということには思いもよらなかったのです。ひどい偽善者です。ひどい母親です。

 

娘は普通の風邪をひいても命取りになります。風邪をひかせないようにと言われ途方にくれました。家に連れ帰っても不安でたまりません。ミルクを吸う力も弱くほとんど泣き声もあげません。私の母は「泣いてごらん 泣いていいのよ」と声をかけていました。

帰宅して三日目ほとんどミルクを飲みません。私の母がとても心配して様子がおかしいと言います。日曜日で救急外来に急ぎました。診察を待つ間にどんどん顔色が悪くなりました。診察の順番が来て娘を見るなり先生が「酸素!」と叫びました。バタバタと看護師さんたちが集まってきて娘は運ばれて行きました。

 

生死をさまようこともあり、搾乳した母乳を届けると、○○ちゃん昨夜はがんばったんですよ夜中にご家族を呼ぶかどうか迷うことが二度ありましたが よく持ちこたえました と言われました。

ありがとうございますと答えながら私は心の中で、どうしてこんなに弱い子をお医者さんは必死で助けるのだろうと思いました。病気を治すことができても障害はなおせないのに命が助かってもこの子は幸せになれるのだろうか…そんな思いが頭から離れませんでした。

そのくせ帰りの車を運転しながら、また悪くなってこのまま死んでしまったらどうしよう

家にいられたのはたった3日でろくに抱っこもしてないのに…そう思って泣けてくるんです。

 

危険な状態から脱して回復に向かい個室に移れることになり、私も付き添い入院することになりました。鼻にはチューブが入り酸素マスクをした弱々しい小さい娘の横に恐る恐る添い寝しました。長引く入院、上の子はまだ三歳にもなっていません。家族のことが心配でこの先のことが不安で元の生活に戻りたいと思ってしまいます。私はやっぱり娘を可愛いと思えませんでした。

 

でも看護師さんたちは娘の病室に来るたびに ○○ちゃんって本当に可愛いですね 色が白くてお人形さんみたい ○○ちゃん見てると癒されます と言われます。何度も何度も来るたびにどの看護師さんも可愛いかわいいと言われるんです。そうかな?この子かわいいかな?本当に?

日々小さい命に向き合っておられる小児の病棟の看護師さんたち、心からそういってくださっているのが伝わります。こういった言葉が少しずつ私の心をとかしていきました。弱々しいけれど身体をさわるとあたたかいです。毎日娘に触れて世話をするうちに少しずつ私の心も変化していきました。子供を産んだだけでは母性は生まれてこないのかもしれません。子供に触れて世話をして話しかけて…そうする中で愛情が育まれるものなのでしょう。

 

ある日、隣の病室にお医者様や看護師さんの長い列が続いていました。

赤ちゃんが亡くなられたのです。その子はお母さんのお腹にいる時から、もう命は望めないとわかっていたそうです。それでも生まれて三日も頑張ったんですよと看護師さんがおっしゃいました。

涙が止まりませんでした。私は初めて娘が生きていることに感謝しました。もう思い悩むことはやめよう たくさんの方々に助けて頂いた命です。大切に育てていかなくてはいけないと思いました。

 

重症心身障害児のご家族の方々は私の何倍もの苦悩を乗り越えてこられていると思います。

そこには多くの医療人のサポートがあったでしょう。

私も娘の命を助けてもらい私自身の人生をも豊かにしていただきました。

すべての子供たちが生まれてきてよかったと思い笑顔でいられる社会づくりのために福祉の中でできることを見つけていきたいと思います。

 

児童発達支援センターおひさま   児童発達支援事業  一山