若草学園の実践ブログblog

おばあちゃん先生の子育て回想録

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回想録を綴りはじめて、もう1年が経とうとしています。

今年は娘が成人式を迎えました。

コロナ感染拡大の為、式は延期、支援学校の卒業生の成人を祝う行事も中止となりました。

 

そんな折、成人の日に思いがけず、娘に綺麗な花束が届きました。

支援学校中学部の3年間お世話になった担任の先生からです。

驚きと感謝で胸がいっぱいになりました。

すぐにお礼の電話をして感謝の気持ちを伝えました。

その時、「どうしてこんなに良くして下さるんですか?」と嬉しさのあまり言っていました。

電話の後せっかくの花束です。娘が持っている姿を見てもらおうと急いでパーティー用ワンピースを着せて花束を持たせ、写真を撮りLINEに送りました。

そのお返事に私の質問への答えがありました。

「どうして○○ちゃんにって考えてみました。○○ちゃんが代表ってことなのかな?皆への思いを代表して○○ちゃんに託しているのかもしれません。」と書いてありました。

こんな風に思ってもらえる娘はなんて幸せ者なのでしょう。

本当に嬉しい出来事でした。

 

成人はしましたが、まだまだ問題だらけです。

マイペース過ぎて時間の感覚が解らず、トイレや着替えに何十分もかかったり、本人任せにしていると食事に1時間以上費やしたり、いまだに排泄の失敗もあります。

とてもとても自立出来ているとは言えません。

それでも沢山の方に助けて頂きながら働く事が出来、わずかながらもお給料が頂けています。

JR通勤で乗り過ごした時には、自分から駅員さんに助けを求めて、逆方向の電車に乗せてもらい、自力で事業所まで戻って来る事が出来ました。

事業所のスタッフの方々にも大変なご心配をおかけしましたが、自分の力で解決できたことが大きな成長ですねと褒めて下さいました。

助けを求める事が出来たことはとても嬉しいことでした。

こんな二十歳の娘の姿があります。

 

長男の話に戻しますと、長男が小学校の通常学級に入学した当時から、通常学級在籍でも特別支援の必要がある子どもを取り出して通うことが出来る通級を作ってもらえないかと校長先生に相談させてもらっていました。

 

地域で違いがありますが、熊本市内では一般的に通級を設けてある学校も多くあり、無理は承知でしたが、ダメもとで毎年要望を出していましたら長男が6年生になる年、なんと通級ができたのです。

最後の1年間、算数などついていけない授業は取り出して通級で個別に学習させて頂くことが出来ました。

この通級が大変有意義な1年となりました。

それまで通常学級でだいぶ無理をしてきた息子はホッと息がつける時間と居場所ができ安心して生活が出来るようになりました。

この経験があったからこそ中学校では支援学級を選ぶことが出来たのです。

本人も自分が勉強や運動が他の人より劣っている自覚はあっても支援学級というのは、ダウン症の妹のような人たちが行くところと思っていて、少し抵抗があったようです。

それが通級を経験したことで、自分が安心できる場所が支援学級(通級と同じようなところ)と理解できて、スムーズに支援学級に進むことが出来ました。

 

中学校というところは入学と同時に高校への進路にむけて進めていくところです。

入学前の中学校との話し合いでも高校の進路はどのように考えているのかを1番始めに聞かれました。

 

小学校のうちから、障がい児の義務教育後の進路はどういうものがあるのかいろいろと調べました。親の会の勉強会などで講義を受け、就労に結び付くまでのいくつかの道筋を知りました。

その中で長男には障がい者枠での一般就労を目指すのが一番良いと考えました。

その為に一番良いのは高等支援学校への進路でした。

高等支援学校の受験資格には療育手帳が必要でした。6年生の時に、療育手帳を申請しました。

療育手帳の審査には一般的に田中ビネー式知能検査及び新版K式発達検査が実施されます。

1回目の審査では高い数値結果が出て(喜ばしい事なのですが…)手帳は出せないと判定されましたが10歳の時に受けたWISK検査の結果を提出して、もう一度WISKで検査をして頂くようにお願いしました。当然低い数値結果が出て手帳を取得することが出来ました。

 

中学校入学時には支援学級在籍をお願いするとともに高等支援学校への進路を目指した取り組みをお願いしました。

また、高等支援学校に合格できなかった場合も考えて、その場合は普通高校への進路も考え、その為には数学や英語など通常の授業を受けていなくても中間、期末の定期試験はたとえ0点であっても試験を受けていく対策を取って頂きました。

普通高校を受験する場合に必要だからです。

 

 

進路の方向性も決まり、中学校三年間は支援学級で中の良い友達にも恵まれ、落ち着いて過ごしていきました。ただ、思春期特有の問題はありました。しでかしています。いろいろと…

とてもここには書けませんが…

そういう事では先生方の記憶に残る生徒になったかもしれません。

それは別にしても先生方には本当に良くして頂きました。

 

無事、高等支援学校に合格でき中学校を卒業しました。

卒業式の日、終わって自宅に戻っていると玄関のチャイムが鳴りました。

出てみると卒業の学年の先生方がずらりと並んでおられました。

息子に最後のエールを送りに来て下さったのです。

先生方お一人お一人が息子の頭や肩をたたいて「がんばれよ!」「元気でね!」と声を掛けて下さいました。

先生方に愛されていたんだなあとしみじみ感じてありがたかったです。

 

そんなことが懐かしく思い出されます。

学校や支援機関にお世話になっている時にも、いろんな困難が出てきて、その当時は日々頭を悩ませていましたが時が過ぎてしまえば、あんなことで悩んでいたんだなあと思います。

 

息子も娘も大人になりました。大人にはなりましたが今も様々な問題、困難を抱えています。

大人になればなるほど問題は複雑です。

おばあちゃんの歳になっても私の子育てはまだまだ終わりそうにありません。

 

 

 

 

若草学園通所部 児童発達支援事業              一山