私は、保育士になる事が小さい頃からの夢でした。
現在52歳 保育士になり、32年
しかし、同じ職場で32年過ごしていません。
現在の若草児童学園にお世話になるまでには、何箇所かの保育園・幼稚園にお世話になってきました。
丁度、家庭のニーズが「核家族化」という言葉が出始めた頃でしょうかね~。
ある保育園で、『障がい児保育の導入』に、出会いました。
その言葉を聴き、保育士としての勉強会=研修会では、障害について勉強する機会が増えてきました。
私の気持ちの中で、疑問が増え、知りたいという気持ちが強くなり、自然と障がい児保育という内容の研修会を、選んで参加していました。
そんな中、私の周りにも、障がい児を持つ友人がいたことに気付きました。
そして、若草児童学園で、仕事をしている友人に出会い、自分も若草児童学園で仕事がしたいという気持ちになり、現在もお世話になっています。
その友人とは、今でも一緒に仕事をしています。
そして、感謝しています。
なぜなら自分の好きな仕事が出来ているからです。
若草児童学園出は、児童施設です。
色んな理由で、親元から離れてきている児童が生活をしている場なのです。
24時間、毎日、同じ事は無いのです。
だから、この仕事は、やめられません。
私は、そこが楽しいんです。
そして、色んな方々と出会うことも多いです。
施設の児童たちは、4歳~18歳までいます。
地域の幼稚園から小・中・高学校に通っています。
ということは、地域の方々、学校の先生方と知り合う機会が多いのです。
そんな中、地域の会議がありました。
地震後でした・・・。
例年だと、福祉祭りという行事が地域で盛大にあります。
しかし、その年は、地震直後だった為、関係者30名様が集合しました。
この行事を開催するかどうかの話し合いがありました。
一人ひとりの意見を聴かれました。
その中、私の順番が来ました。
「開催して欲しいです。
なぜなら、『福祉施設で子ども達は頑張っています。』と言うアピールの場は、この行事が一番だからです。
地域の人にして欲しいし、伝える場を与えて欲しいです。」
と発しました。
そして、この会議が終了しました。
すると60歳くらいのご老婦が初めに近づいてこられました。
「あたは、よかこつ言うたなぁ~。町に宣伝せんと、施設がある事は、わからんもんなぁ~。あたは、エラか!」
と言われました。
私は、ただ施設生活をしている子ども達のことを理解して欲しいと思ったので、発した言葉でしたが、共感していただいたご老婦に感謝しました。
わかってくださって、嬉しかったです。
そして、こんな風に思ってくださる方々が増え、子ども達を理解し、共感していただけるよう
これからも、伝える一人として、この仕事を続けられるように、私自身、努力していきたいと思います。
若草児童学園 入所 N・N