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「別れがありました」中村🍀

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先日、私と同学年の米大リーグ・イチロー選手の引退発表がありました。長いプロ生活で、あの華奢な体からは考えられないほどタフさを持続し、45歳までメジャーでも第一線でいられる身体能力には感服していました。私はイチロー派ではなく松井派でしたが…間違いなく同学年のトップスターです。

この同学年の話はイチローがきっかけではなく、北海道で私から1年遅れで剣道を始めた私の最大のライバルで一番仲良くしていた「順」の話を書き始めていたら、イチローのニュースが飛び込んできたので織り交ぜました。

順は、帯広から小3の頃、私の学校に転校してきました。いわゆる道産子(北海道生まれ)の色白の男子で、私とは真逆なのに仲良くなり、私が一人で剣道しているから練習に誘ってみたら、その後私のライバルとなったのです。試合をすれば、順が1番なら私が2番、私が1番なら順が2番といった感じで、市内で二人は敵なし状態。小5の時、別の道場に同学年の強い人が現れた時は、その道場に二人でお邪魔し、弱点や攻略法を見つけ出したりしながら、「絶対に1位・2位は俺たちで死守するぞ!」と…当然ながら私が転校するまでは死守し続けました。転校後は中学までは電話でやり取りしていまして、彼は中3の時、中体連で北海道で1位だったそうです。私は長崎で3位。順からすれば、「九州が本場の剣道で、長崎で3位の方が北海道で1位よりもすごい!」と言ってくれたことを思い出します。その後、私が熊本に転校してからは音信不通となりましたが、自衛官の父の横のつながりで、道場の先生からの連絡では、順は、札幌第一高校に進学し、高3の時にも北海道で1位になり、その後、北海道大学に進み、警察官になったと聞いていました。剣道も強かったですが頭も良かったんですね。

そして先日2月の終わりに父から連絡が入り、北海道の道場の先生からの連絡で、まさか?!…ですが、順が亡くなったとの連絡でした。ガンだったそうです。ちょうど忙しい時期でもありストレスマックスの頃でしたので、落胆極まりなく、今でも引きずっています。親友ともいえる順の訃報は私にとってあまりにもきつい出来事でした。3月中旬ごろ、順が遺していた手紙が何通かあり、その中に私宛の物があったと、お母様が送ってきてくださいました。白い封筒に「中村猛様」と…中の便箋1枚に、「猛へ。俺にとって猛は昔も今もライバルです。福祉の仕事頑張って下さい。」とだけ書いてありました。重くとても嬉しい言葉に泣かずにはおれませんでした。お母様からのお手紙には、元々体は弱かったので、結婚はせず剣道は続けていたとのこと。最後は壮絶だったけれど、昔話をすると、猛君の名前は良く出てきていて、老人ホームに勤めている事は父を通じて知っていた”とのことでした。色んな人に手紙を遺しておくようにとお母様が言っておいたそうです。順の「…ライバル…」という言葉はきっと、「親友」と言ってくれたんだと思いました。

人は、人生の途中で何かを終わらせる時や、最期の時を迎えている時に、どんなことを考えているのか。私には経験のない事なので、その瞬間にならなければわからないし、計り知れない事です。順を思えば、結婚だってしたかっただろうし、自分の子供に剣道を教えたかっただろうにと、なぜに45歳で死ななくちゃならないんだと無念だっただろうと思います。少しずつ歳を取るにつれ、近しい人との離別・死別を経験していくのでしょうね。私自身も色んな人と様々な形で別れを経験してきました。ご入居者との別れや身内や友人・同僚との別れ、知り合いとのそれは色々と…

人との別れが痛い事は知っていましたが、今回の事は痛すぎた。人と出会うことと別れることの尊さを自身で感じているこの約1ヶ月。何だか手につかずヘマばかりだったのもこのせいかと、努めて明るくしていますが喪失感しかない1ヶ月でした。同級生、それもよりにもよってまだ45歳の親友の死はたまりません。

 

暁荘・施設長・中村 猛🍀