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あれから・・・

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 熊本地震から今度の日曜日で丸3年経ちます。3年前のあの日はちょうど当直の日で、暁荘の事務所に1人で居ました。午後9時26分頃、突然の地震、机にしがみつかなければならないくらいに縦に揺れました。物が倒れ、書類や本が床に落ち、やっと揺れが収まりましたが、何が起きたかわからず暫く呆然としてしまいました。頭を整理し、まずは入居者の安否確認だと思い居室の巡回を始めました。幸いなことに停電・断水もなく、物の下敷きになってる人や、落下物で怪我をした人はおられませんでしたが、どんどん余震が来ている中で、どこかに避難させるべきかこのまま居室に待機してもらうべきか?電話が通じない為、独りで46名程の安全を確保する方法を考えていました。

 しかし、避難を考えているうちにも余震が続き、認知症の方や精神面が弱く不安が強い方等が、どんどん事務所周辺に集まってきて、落ち着かせることに精一杯な状況でした。途中施設長からline電話が有りましたが電波が悪くあまり聞き取れませんでした。そうこうしているうちに近くに住む職員が1人駆けつけてくれたので、事務所に居てもらい、とりあえず居室の中で休める状態にして回りました。

 入居者1人1人に声掛けをし、テレビや家具などが寝具の上に倒れないように配置換えをし、居室へ戻ってもらいました。いつの間にか施設長も駆けつけてくれてました。施設長とも相談しましたが、無理に非難するよりも居室の方が安全だろうとのことでこのまま様子を見ることにして、テレビをつけると、なんと自分の住んでる益城町が大変なことになってると知り、家族へ連絡を試みましたが連絡が取れず時間だけが過ぎていきました。日付が変わったころに他の職員が帰り、不安で部屋に居れない入居者と玄関のソファーでお話をしていると、午前1:30頃にやっと連絡がきて、大きなケガもなく近くの小学校の体育館にみんなで避難してるとの事で、安心しました。

 朝まで玄関で入居者を見守って、施設の状況を見て回りましたが、特に大きな被害はなさそうでしたので安心しました。厨房もガスや調理器具に支障はなく、厨房スタッフも自宅が大変なのに、いつもより早出して来てくれ、朝食からいつも通りに出すことが出来ました。

 出て来れる職員がそろったところで後片付けをしました。昼食後に施設長が「家を見てこい」と言ってくれたため自宅に向かいました。自宅に着くまで道路の半分が崩れかけていたり、マンホールから柱が上がっているところなど沢山あり、相当な被害が出ている事を目の当たりにしながら自宅に到着しました。ぱっと見、外見は大丈夫そうでしたが瓦がずれ、壁には無数のヒビが入り、物が散乱してガラスが割れて靴を履いたままでないと上がれない状況でした。とても要介護3の祖母のいる家族で生活ができる状態ではなかったため、施設長に相談し、暁荘の旧デイセンターへ家族で避難することにしました。

 使える生活用品を持ち出して家族全員で暁荘へ行き、私は仕事へ戻りました。その日は夜にまた地震が来ては大変だと思い、施設の懐中電灯やランタン等を当直室へ集めておきました。そして、日付が変わり、「大変なまま誕生日になってしまったなぁ、いつもは家族の誕生日はケーキ買って食べるのにさすがに無理だななんて考えながら40時間以上ぶりに眠りについてすぐに本震が来ました

 本震は揺れが酷く、停電も起き、家族を車に避難するように指示を出し当直者と入居者の安否確認に周り、タンスの下敷きになってる人の救出2件ありましたが、打撲程度でみんなの安否が確認でき安心しましたが、停電している為部屋で待機させるわけにはいかず、バス・リフト車を玄関前につけて全員を乗せ、暖房を効かせて朝を待ちました。

 本震では断水が長引き50人分のトイレが1番苦労しました。今でも3年前の60時間寝ずにバタバタしてた時の記憶がはっきりと鮮明に残っています。まだまだ自宅再建の目処が立たずに苦しんでいる人もいます。私の自宅周辺も空き地になったところが、まだそのままになっている所が多々あります

 今、普通の生活をし、仕事をできる喜びを改めて思い返し、あの日のことを忘れずに、これからの人生の糧にして精一杯頑張って行こうと思いました。

 

相談員 中山