時が過ぎるのも早いものです。私は、昭和30年生まれで 今年6月15日で67歳を迎えます。そこで昭和の事について お話ししたいと思います。昭和30年というと第2次世界大戦が終戦して、10年経っており、私が物心ついた時には世の中は、何事もなく平和でありました。各、家庭には、ニワトリを養われていて、朝からは、ニワトリの声「コケコッコー♪」とあちらこちらから響きわたっていました。朝の目覚ましには最適でありました。
私は人吉育ちで温泉が多く、又、家庭に風呂場があるところが少なかったのもあり、近所の温泉に毎日行ってました。温泉には番台さんがおられましたが、男性の番台さんの時は、脱衣所で裸を見られないようにタオルで隠し隠し入ったものです。
日用品では、その時代はトイレットペーパーは無く、チリ紙を使用していました。歯磨き粉のチューブ入りは少なく粉の歯磨きをしていました。100円あればどちらも購入出来ました。
食品に関してはコーラ25円 パン25円 飴玉1個1円、チューインガムが6枚入り50円、ガムはとても人気でした。駄菓子屋が多く、子供達には人気で私も10円持ってよく、くじ引きをしてました。オモチャの指輪が当たると嬉しくてたまらなかった記憶があります。
昔は人吉には、スーパーなどが無く肉屋、魚屋など小売り店が多かったです。又、各家庭にお茶、魚、着物、金魚等々を個人で売りに来られていました。
人吉と言えば鍛冶屋が盛んで 20軒以上の鍛冶屋があったように思います。鍛冶屋が多いので町名は「鍛冶屋町」となっているようです。その鍛冶屋も現在は1軒となりました。(´;ω;`) 寂しいです。
こんな昔話を入居者の皆様と 懐かしく会話する事が多々あります。皆様の中には、戦争の話や防空壕での生活されていた事を懐かしく話される方もあります。
入居者様からよく聞く言葉で「あかつきに来て良かった。今が一番幸せ ☺」と言葉を頂いた時、超嬉しくなります。これからも皆様が楽しい生活が送れますよう 頑張りたいと思います。❤
介護職 西村