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おばあちゃん先生の子育て回想録

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個人的な話ですみません。私は髪染めの薬剤やにおいが苦手で髪染めをやめて自然な白髪のままにしています。

子供たちには白髪の人は珍しく、先生どうして髪の毛白いの?とよく聞かれます。

そのたび、おばあちゃんになると髪の毛が白くなるの 先生はもうおばあちゃんだからね 力が弱いの 重いものが持てないからお荷物自分で持ってね!とおばあちゃんアピールをしています。

孫のような子供たちと楽しく過ごす中で我が子の幼い頃を思い出すこともよくあります。私は二人の障がい児を育ててきました。もう21歳と19歳になります。

大人になってもなかなか自立とはいかず、まだまだ子育ては続いていくのですが我が子の育ちを振り返りながらこれまでの思いを記してみたいと思います。

 

36歳の高齢出産で長男が生まれました。低出生体重児で小さく生まれましたがとても元気です。熊本には知り合いもなく、もっぱら育児書に頼る日々でしたが、私は何を勘違いしたのか母子手帳の健診のページが3ヶ月、6ヶ月、9ヶ月、1歳、1歳半とならんでいるのでそのつど健診があると思って9ヶ月になったころ、近くの小児科に健診を受けたいと連絡したのです。電話に出た方が怪訝そうな話ぶりで、健診はできますが費用が掛かりますよと言われました。どういう意味かな?と違和感を持ちながら小児科に行きました。

 

小児科のほうでは公的な9ヶ月健診なんてないのに神経質な母親が心配のあまりやってきたと思われたのでしょう。当の私はみんな受けるのだと思っていましたので軽い気持ちでいったのですが、お座りできるようになっているのに寝返りができないんです。ハイハイもまだですと少し気になっていることを伝えました。

何か問題があるとは全く思っていませんでしたが先生が、大丈夫だとは思うけれども、念のために託麻台病院で診てもらいましょうか?骨とかに異常がないとわかればお母さんも安心でしょう?と言われ、紹介状を頂きました。そしてその日の検診費用は無料になりました。子供に問題があったからです。

 

驚きましたがまだそんなに心配はしていませんでした。

託麻台病院での診たては、足のほうは正常に発達しているけれど、腕のほうは3ヶ月くらいの発達で遅れがあるとのことでした。

しばらく訓練してみましょうということになり週一回のリハビリに通いました。

ほどなく寝返りもハイハイもできるようになり一安心しました。

リハビリの先生はたぶん順調に育っていかれると思いますが病院では自立歩行ができてリハビリ終了になるので月に一回見せて下さいとのことで歩けるようになるまで通いました。1歳4ヶ月で自立歩行ができリハビリ卒業です。

ほっとして喜んでいるところで発達の先生から言葉のほうはどう?と聞かれました。

まだまだ暢気に考えていた私は笑って、まだワンワンも言わないんですよと答えていました。先生はそうですか…少し遅いようですね。何か心配になったらまた連れてきてくださいねと言われました。

リハビリの終了のほうが嬉しくてその時にはあまり気にしていなかったのですが後になって先生の言葉が心に引っかかっていきます。

 

その後 順調に?すくすく育っていきました。 私はそう思っていました。

そしてもうすぐ3歳になるころ妹も生まれる予定です。

お腹の第2子の発育が悪く予定日のひと月ほど前から入院になりました。

病室は4人部屋でちょうど長男と同い年のお子さんを持つ方と一緒でうちの子もそのお子さんもよくお見舞いに来ていました。

うちの子はゆっくりさんだからと思って暢気にしていましたが、同じ年の子がこんなにしっかりしているのかと驚いてだんだん心配になりました。

 

そうして年も押し迫るころ お腹をさすって そろそろ出ておいでと話しかけた次の日

娘が産まれました。

さて これからがわたしにとっては大波乱の日々の幕開けとなります。

 

長男の話もこれで終わりではありません。ここからが始まりです。

こんな個人的な話を長々と記して申し訳ありません。

 

発達に問題があること なかなか気づけないものです。

はたからみると9ヶ月で何らかの指摘を受け、リハビリにも通うくらいなら問題があると気づくだろうと思われるかもしれません。

私が愚かな母親だからかもしれませんが母親とはそういうものだと思うのです。

他と比べて小さな差を気にもするけれど、この子は大丈夫、何の問題もないと信じているのも母親です。

 

そして障がいがあろうとなかろうとこの子は大丈夫、何の問題もないと信じられるのが親というものですね。

 

また機会がありましたらこの回想録にお付き合いくださいませ。

 

児童発達支援事業 一山直子