若草学園の実践ブログblog

おばあちゃん先生の子育て回想録

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またまた個人的な思い出話にお付き合い頂いて申し訳ありません。前回長男の二歳半までの育ちと第二子の長女の誕生までを綴ってまいりました。その後のお話です。

生まれてきた娘はダウン症でした。このころのことは以前ブログにも記しましたが、私は娘の障害を受け入れられず絶望感にさいなまれていました。また、娘が障がい児ということで長男の事も余計に気がかりになりました。言葉の遅れや、他児と比べて幼い様子が心配でなりません。

 

娘のほうは産院の保育器からやっと出られて自宅に戻ったのもつかの間、たった3日で病状が悪くなりまた入院になりました。24時間体制の観察室の保育器の中でチューブにつながれていました。私はこの時、長男のことで動けるのは今しかないと、再び発達小児科を受診し言葉の遅れを相談に行きました。娘の状態が悪い時によく行けたものだと思いますが、今思えば娘の事に向き合うことから逃げていたのかもしれません。

 

発達検査を受け言語リハビリが開始されました。娘が観察室から出て、個室に移ることになると私も付き添い入院しなくてはなりません。その間は父親がリハビリに連れていってくれました。発達の医師からは早く集団に入れた方が良いとの助言を受け、近隣の保育園に事情を話して、入園させて頂くことになりました。

娘も家に戻れた頃長男211ヶ月の春です。

 

言語リハビリとともに次々に色々な検査が行われました。言葉の遅れがどこから来ているのか調べるためだったようです。

はじめに口蓋裂の検査があり続いて聴力検査その後頭部MRI検査が行われました。

私としては原因が分かれば対処法があるだろうから少しは気持ちが楽になるはず、

口蓋裂や聴力の問題であれば手術や訓練で改善されるはずなどと、検査のたびに心が揺れます。心の底では、どこかでだれかが おかあさんだいじょうぶですよ大きな問題はありません。ふつうに育っていきますよ と言ってくれるのを願っていました。大丈夫 大丈夫 きっと大丈夫・・・

 

でもありがたいことにお医者様は、簡単には大丈夫なんていってはくれません。事実だけを伝えられます。MRIの結果 大脳皮質にわずかに石灰化がみられるというものでした。

胎生期の酸素不足によるものと思われるそうです。ですがそのことが言葉の遅れとの因果関係があるのかは分からないとのことでした。ただ、脳腫瘍などの病気は見られないので手術などの心配はありませんと伝えられました。

そう結果を伝えられても私には事態がよく呑み込めませんでした。だから結局どうゆうことなのか この子はどうなるのか これからどうすればいいのか何も分からないままでした。家に帰って父親に結果を話し、どういうことなのか納得がいかないと伝えると、父親も直接医師に話を聞きたいというので再び説明の時間をとって頂きました。二度目もMRIの画像を見ながら説明を受けましたが、私にはだからどうなのかやはりわかりません。分からないまま最後に先生は、「小学校に入学する時に普通学校にするか、養護学校にするかはご両親が決めるんですよ」と言われました。その言葉を聞いて谷底に突き落とされたような気持になりました。人前もはばからず涙が出てきて動揺し、病院の支払いをせずに帰ってしまいました。

どういうことだろう?どうすればいいのだろう?障がい名などは何も聞かされず曖昧な説明で、結局何をすればよいのかよく分からないままでした。

思い悩んだ末、私は児童相談所へ連絡し、話を聞いてもらいました。

お医者さんは検査の結果を伝えるだけで、子どもの為にどうすれば良いのか何も教えてくれない、私はどうすればいいのか訴えました。

 

そこで初めて療育というものと繋がりました。療育に通ってみませんか?との提案を受け通うことに決めました。同時に療育手帳の申請をするかどうか尋ねられました。ダウン症の娘が生まれてからは障がい関連のことについていろいろと調べて学んでいて手帳のことも知っていましたが、当時はまだ長男には手帳を申請する気持ちになれず、娘には申請をお願いすると思うけれど、この子には必要ありませんと伝えていました。

 

療育に通ってみると45組の親子がいて親は見守りながら、いろいろな楽しい活動が行われます。それとともに職員の先生にじっくりと親身になって話を聞いて頂き、家庭での取り組みなど具体的なアドバイスをもらうことが出来ました。「お母さん、一人で頑張らなくていいんですよ!一緒に頑張りましょうね!」と励まして頂き、それまで重苦しい思いがずっと胸に詰まっていましたが、ふうっと息がつけたような気がしました。「ああ ちゃんとこうして障がいのある子にはこのような療育先で出会う子どもたちもいろんなタイプの方がいて初めて自閉症スペクトラム障がいのお子さんとも出会いました。長男は知的障がいで情緒面は比較的落ち着いていましたので、自閉症スペクトラムのお子さんの困難さを垣間見る機会でもありました。療育先での長男は先生方のご指導のおかげもあり、私が見る分にはあまり問題なく感じられ、1年通ったところで次は娘を通わせることにして長男は療育を終了しました。

 

療育は私にとってとても興味深く楽しいものでした。もちろん子ども達にとっても!そして先生方が保育士でいらっしゃることを知って私も保育士の資格を取ろうと思いました。いつか子どものために役に立つかもしれないと思ったのです。

 

長男は保育園に行き始めた頃は、言葉がうまく出ないことでトラブルにないお友達に噛みついたりもしましたが、3歳を過ぎると言葉も困らないくらいに出てきてゆっくりながらも定型発達のお子さんに引っ張られながら成長し、年少からは幼稚園に進みました。幼稚園が大好き、先生やお友達が大好き、元気に走り回って3年間楽しく過させて頂きました。

 

ですがやはり学習面では大分遅れがあります。年長になっても自分の名前以外の文字が覚えられず、絵や造形は3歳児レベルです。

 

そうです就学が迫っています。

3年前の発達の先生の言葉 「普通学校か養護学校か・・・」

またまた悩ましい日々がやってくるのでした。

(次回に続く)

 

児童発達支援センターおひさま 児童発達支援事業 一山