不機嫌になるとたちまち表情が険しくなり、人が居ようが居まいが物にあたりドアを蹴りどんどんエスカレートしてくる。周りの事情などお構いなし自分の怒りの感情をもろに見せつけ不穏な空気が流れる。
子ども達にも行動に至るまで何かしらの事情があるかもしれないが、壊された物がありケガを負わされたともなれば決して許される行為ではないはず。世間の道理からすれば、こんな場合親は叱り、ふてくされる子を引っ張ってでも相手方へ向かい、めいっぱい謝罪を行い壊した物の弁償、怪我の治療費支払いと必死で行う事でしょう。子は繰り返しながらも親とのやり取りの中で、迷惑かけられない心配かけられないという気持ちが湧き、また経験するうちに生活する上での秩序を学び社会へと出ていくことと思っています。
今、「子どもまんなか」という子どもを中心とした様々な政策が打ち出されています。
子どもには自由な選択をさせたいと大人が願う傍らで、自由とわがままをはき違えて行かないだろうか心配するのは私だけ…。自由とは、自由と一体して責任がある。物事のルールを守る事から、他人の尊厳も大切で奪ってはいけないこと、間違いを起こした場合はその代償があり重んじることなど。これらを守るうえで自由がある事を厳しい社会へ送り出す前に大人はしっかり子供と向き合い教えて行かなければならない。子どもを守り過ぎたりかばい過ぎたりすると子ども自身が学ぶ機会を得られなくなりはしないかと思ってしまう。成長は遅くとも学ぶ機会がたくさんあればいつかは成長したねと思えることが出来るでしょう。真剣に向きあうというのは本当に忍耐が必要で関わる大人も失敗しながら学び成長です。半世紀以上生きている割にはまだまだ未熟な私ですがこれからも子どもたちと一緒に悩み成長していきたいと思います。
入所部 クレメンツ